奥様は仕事なのでその間に米買いに行ったり家事したり。
車での移動中は何となくFM802を流していることが多いんだけどこの日は祝日という事でJ-WAVE制作の『WHAT’S ART』とかいう9時間番組をやっていた。私立の方の京都芸術大学の一社提供。
内容としてはJ-WAVEらしいふんわりとした雰囲気教養番組だったんだけど、途中で教授の本間正人とかいう人が
「AIには疑うという事も意味を見出すという事もできません」
とか根拠不明な事を言い放っていた。
そんなの殆どの人間も碌に出来ていないし、今後ハードウェアとソフトウェアの両方の進歩と共に加速度的かつ無制限に発展していくことが確実なAIに出来ないだなんていうことを何故軽々に言ってしまえるのだろう。
そもそもこの人は意味だとか意思だとかいうことを正確に定義できるのかね。自由意思の有無という命題について考えることもこのAIに何ができるのかという話には付き物だけどそれはどう考えているのか、とか。やれベンジャミン・リベットの実験とかから始まる一連のあれこれもあるじゃない?。そういうのは京都芸術大学では触れないの?。人間の意思だとか感情には言及するのに?
なんて言っていたら奥様が「京都芸術大学如きに何を期待してるねん」って言った。酷ーい。
で、ゆるくて雑な番組だけど世間ではどう受け取られているのだろうかと不意に感想を検索してみてみたら「面白かった」「興味深かった」という様な、例の雰囲気感想コメントばっかりだった。うーん。運転しながら聞いたおよそ1時間半ほどのパートでの内容、薄味過ぎると思ったけどなぁ。
同じ事は実はYoutubeの教養系チャンネルにも思っていて。
『山田五郎 オトナの教養講座』はさすがの山田五郎クオリティなので、独自見解も喋りつつ概論も述べつつユーモアも交えつつなので気軽な消費物として面白く観れているんだけど、先日 中田敦彦とコラボをやってたのでそれをきっかけに『中田敦彦のYoutube大学』を観てみた。まあ内容が薄かった。内容は薄いんだけど、芸人だけあって話術のメリハリも効いてて観易かった。でも内容はホンット薄いの。
これは独習はおろか専門書を読むという事すらもハードルが高いと感じるような、文化的B層とも言うべき状況でありながらそれでいてそう思われたくはないと思う人々にとっては格好のコンテンツなのだろうなぁ。
そして、そういう欲求を持ちながらあのメリハリの利いたやかましさが苦手な人という層もいるのだろう。
そうした人々だと今回の『WHAT’S ART』を初めとしたJ-WAVEのゆるい教養番組風のあれらを好んだりするという想像が付く。
そしてそういう人がマジョリティになっているからポッドキャスト全般もあの手合いの番組が増えるしアワードもあんな結果になったりするのだろう。ヤだな。
『刑事物語3 潮騒の詩』鑑賞。