第312回 「Drama of Tiger」






第312回 平成24年2月16日 「Drama of Tiger」 48分53秒



 大人気ドラマ!。今年の大河『平清盛』を誉めますよ!



 どうやら世間ではイマイチ受けていない様ですが、超絶地味に面白いぜという御話をします。



 今週の内容は…



  • 観た大河・観ていない大河

  • 小汚い!面白そう!!

  • 横分け兄さんがかっこいい

  • 私は明美よ!

  • 唐突にヒムロックトーク




平成24年2月5日に収録





 3月2日(金)に会議月ですよ!!



ライブシアターなんば白鯨


〒542-0074


大阪市中央区千日前2-3-9 味園ビル2F


Tel:06-6643-5159



19時開始


入場料:無料(1ドリンク別)

コメント

  1. とっしゃん より:

    昔々、裏で、久米宏とやっさんがやってたTVスクランブルで「なぜ、大河ドラマなんか見ているのか、教えてください」と募集したら、「ご先祖様のことをやってるからだ」と徳川さんからのお便りがあった・・・というのが、最大の思い出であるというくらい、大河ドラマを見たことがありません。
    大河ドラマの楽しみ方って、「この次の展開知ってる。前に別のドラマで見た」というのが主体になっているイメージがありまして、平清盛の評判が悪いのだとしたら、「平家のえらい人だよね?悪役でしょう?あんまり知らないなあ」という感じで受け付けられていないのかな、なんて思ってました。
    ああ、そうなると『篤姫』あたりも「誰やねん」となりますね・・・。
    今回の放送を聴いていると、グッと興味が沸いてきましたが、録画してまでとなると・・・、という感じです。
    脚本が練られていないアニメというのは、ガンダムAGEのことを指し示していうようにしか思えない今日この頃、「という」が多い文章で、すいません(笑)

  2. 怪文 より:

    TBSのラジオ番組Digにて
    「時代考察上、あの時代に父親が清盛と呼ぶことは不自然。」
    とかなんとか。へぇ~と思ったのを覚えてます。
    同番組は以前にも時代劇について取り上げて
    「時代劇はエンターテイメント。考察に縛られる過ぎるべきじゃない」とかなんとか。そういう物かぁと思ったり。
    井戸知事。丸山代議士と共に地元出身で御座いまして・・・。
    同郷人が恥晒しでご迷惑をおかけしております・・・。

  3. JUS より:

    >とっしゃんさん
     徳川宗家、意外と目立ちたがりですからねw
     ちなみに伊達家の今の当主もかなり目立ちたがりみたいですw
     しかし、久米宏とやっさんって今考えると非常にデンジャラスな取り合わせだなあw
     確かに、そういうある程度イメージの定着した登場人物の話ってのは視聴率を稼げないってのはありますね。源平物はそういう意味ではかなり難しいみたいです。
     仰る様に、「誰やねん」な方が面白いとは思いますよ。最上義光とか絶対面白いのになぁ…。
     「ガンダムAGE」についてはまた近々やろうと思います。
     あれはボチボチ僕も見限りたくなってるという…w
    >怪文さん
     実は僕は、その意見には異論ありなんですよね。多分、名で呼んでるところもあったんだと思うんです。勿論、呼ばない家の方が多いとは思うんですけどね。
     名って、落語家の芸名に近いと思うんですよ。
     人前でも平気で父親を「おとーさん」と呼ぶ月亭八光がいる一方で、桂米朝は息子に対して米團冶と呼ぶ機会は多いと思います。そういう、グラデーションを描く様な違いはあれど「不自然」は言い過ぎじゃないかなぁ、と。
     考察に縛られ過ぎるべきじゃないは賛成ですね。ただ、これも突っ込まれない程度にはやっとくべきという難しいところですね。
     逆に『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』なんかはちゃんと考察を入れて成功してましたが。
     井戸については、まあ僕も兵庫県人なので同郷ですw

  4. 怪文 より:

    なるほど。言われればむしろそっちのほうが
    納得度高いですね。
    「カタカナのあだ名なんて可笑しいじゃん!」
    …って感じですかね。

  5. JUS より:

    >怪文さん
     多分、あだ名の変か否かに近い感覚でしょうね。
     「劉備玄徳じゃなくて劉玄徳だろ」とかについても同じ様に、「そう呼ぶやつもいたんじゃねえの?」って気もするんですよね。
     おそらく世の中には「タローちゃん取締役」って呼ばれてる人がいるだろくらいには。

  6. risu より:

    こんにちは。ひさしぶりに書き込ませていただきます。
    平清盛、僕も楽しみにしています。特に三上博史さんのNTRぶりには痺れています。
    時代考証を厳密化するあまり、よくわからないものになっていたり、
    でも、あまりにも時代考証がザルなために、リアリティを欠いていたり、
    時代劇は、時代考証のさじ加減が難しいですね。
    ところで、諱を「異論あり」としていますが、
    それは何らかの文献や根拠がおありなのでしょうか?
    最近の時代劇は、平気で諱で呼び合っているので、僕なんかは違和感ありまくりのクチです。
    最近の歴史小説(というより、歴史系エンタメ小説)なんかも、諱で呼び合うものなんかもあったりして、これも違和感あるんですよね。
    ただ、幼名なり通名なりで言われてしまうと、誰が誰だかわからなくなってしまうため、作劇上やむをえず諱でやりとりしていると理解していたので、
    JUSさんの「名で呼んでるところもあった」との書き込みは、ちょっとびっくりしました。諱でのやりとりがあったことは、寡聞にして知らないので、お教えいただければ幸いです。

  7. JUS より:

    >risuさん
     いいでしょ~、三上博史。
     しかもここから、某掲示板でそのホモホモっぷりが取り沙汰されている藤原頼長とか出て来る訳で。何て香ばしいじだいなんでしょうw
     ああ、そうだ、諱だ。コメント書いてる時に「あ~、何だっけ、出て来ねえ。まぁ、名でも間違いじゃないし」って書いてましたw
     諱の使用例で言うと、伊達政宗の私的な書簡なんかは自署も宛名も“政宗”ってなってるのが多かったかと思います。記憶だけで書いちゃってるのでどうしても戦国時代になっちゃいますが。
     普通だったら“伊左殿”とかになる筈なんですよね。そこが“政宗殿”ってなってるって事は普段からある程度…、想像ですがかなりの頻度でそう呼ばれてたって事じゃないかと思います。家族間の手紙でもそうなってるみたいですし。
     ぱっと思い付くのは政宗だけですが他の人物でもいくつかかなり砕けた書簡で諱を使用している例ってのは見た覚えがあります。少なくとも戦国時代…、というより安土桃山時代から江戸時代初期は諱の使用頻度はある程度あったと思います。ひょっとしたら諱で呼び合うのが流行ったのかもしれません。案外、政宗が流行らせてたりしそうですが。性格的に。
     大河ドラマなんかでの使用する場面なんかには僕も違和感あるんですけどね。
     実は「“太刀”っつってんのに刃を上向けて差してるシーンあったっぽい」って話もしてたんですよ。
     でも、「まぁ、そういうヤツもいたかもな。俺、右利きなのに右に腕時計するし。そういうクセも絶対にない事もなかろう。スカートはいてるおっさんもおるし」と思って切りましたw

  8. risu より:

    最新回(某鉄道会社とのやりとり)、おもしろく聴きました。
    平清盛の時代って、つっこみ所満載なキャラがおおいですからねぇ。
    これから楽しみです。NHKは視聴率を気にせず、変に濡れ場なんかやらず、ゴーイングマイウエイでいってほしいです。
    さて、書簡の例から、「呼んでいた」=会話などで使われていた、
    とは導けないのではないでしょうか。
    戦国期あたりの古文書の書状で、諱&花押(まれに、花押がなかったりもする)は別に特段異質なものとは思えないのですが、どうなんでしょう。
    そもそも、書き言葉(文語)と話し言葉(口語)のレベルは違います。
    書類に「書かれて」あるから、日常でも同じように「言っている」ということにはならないでしょう。
    書簡から日常の呼称まで想像してしまうのは、飛躍としか言いようがありません。
    諱で思い出したのですが、TBSの「安住紳一郎の日曜天国」の、時代考証家の山田順子さんのゲストの回で、その話が出ていますね。お暇でしたら、お聴きになってみてください。(N-1の推薦ではありません(笑))
    http://podcast.tbsradio.jp/nichiten/files/20080127.mp3

  9. JUS より:

    >risuさん
     何だか視聴率の為に濡れ場が増えたみたいな話になってましたが、あれって多分 去年の春から夏にかけての撮影の筈なんで、そんな訳ねえだろって思ってるんですけどね。単にああいう展開にしたかっただけじゃないかなぁと。
     諱については…、ん~。
     仰るのも判りますが、だとすると何から判断するんでしょう?
     諱を日常的に使った訳がないってのも書簡などからの類推じゃないですかね。時代ごとにも環境は変わるでしょうし。
     諱を呼ばれて恨んだ話ってのは知ってはいますが、だからと言って諱を呼び合う関係がなかった事にもならない訳で。
     なので僕としては「普通は諱で呼ばねえよな、普通は。失礼だからな。宗教的にも問題だし。でも諱を呼ばれて恨む話があるくらいだから平気で諱を呼ぶ失礼なやつがいたって事だわな。失礼扱いされない空間もあるかもしれんわな。人間だもんな。色々おるわな」くらいに考えているんですけどね。
     ちなみに、政宗の件で言えば、読んでみると結構異質です。
     誰相手の手紙だったかはちょっとすぐ出て来ないんで例ですけど、例えば“黒築殿 政宗(より)”となっている書簡の返答が“政宗殿 黒田吉兵衛”ってなってる様なのが複数あったかと思います。
     地図でも“政宗屋敷”ってなってたり。これも従来の考えた方で言えば無礼千万な表記だと思います。
     少なくとも安土桃山時代から江戸時代初期においては諱をあまり変えなかった人物は諱を使用する頻度が高かったんじゃないかって言ってる人もいましたっけ。

  10. risu より:

    濡れ場云々は、視聴者向けのリップサービスでしょう。
    今後の撮影分で濡れ場が増えても減っても…まああまり関係ないですかね。
    NHKの濡れ場は刺激たりんもん。
    それこそAVばりのナマチチぶるんぶるん、というのを一視聴者としては期待してはいるんですが…。受信料払っているんだから、深夜帯のNHKはAV流して欲しいっすよ、もちろん、AV人生相談のタニゾー先生とJUSさんの解説付きで。
    とりあえず、以下、返信です。
    (1)物語や説話などの文学作品や、能、狂言などの芸能の謡曲、抄物など口述筆記の筆録などなど、判断の根拠になる文献は、わんさとありますよね?地の文で諱が使われていたとしても、台詞ではわざわざ官職名や通称に改めていることが多いですし。すくなくとも、書簡は定型があるので、あまり参考にならないかと。「拝啓 ますますご清栄のこととお喜び申し上げます」なんて、会って言い出すヤツは見たことないですよね?って話です。
    (2)そもそも、平清盛の時代(平安末)の口語表現の事象を、安土桃山の文語表現の例を以て説明することは合理的ではないんじゃないですか?JUSさんご自身がおっしゃってませんか?「時代ごとにも環境は変わるでしょうし」って。
    (3)政宗限定でこだわっておられるのであれば、それは別件でぜひお話ください。別の機会に、「政宗諱特異論」をやってください。この話は、政宗の諱の話ではなかったはずです。政宗の諱は、平清盛の例(もしくは、平安末の諱の例)を説明するのにふさわしくはないと言っているだけです。おっしゃるとおり、政宗の書簡は少し変なところありますよね。昔、政宗自筆の書簡を見る機会があったんですが、濁点とか付けられていて、国語学的な価値があるな、と思った記憶があります。
    ふと思いついたのですが、宣教師のイエズス会なりの報告文章では、殿様たちの諱って、どう扱われてるんでしょうか?「nobunaga-dono」とか書かれてたりするんでしょうかね?
    とりあえず、JUSさんが「名で呼んでるところもあったんだと思うんです。勿論、呼ばない家の方が多いとは思うんですけどね。」とおっしゃっていたので、どういう根拠がおありなのかな、と疑問に感じて、「どういうことなんすか?」「根拠はなんすか?」と質問したまでです。別に他意はありません。
    もちろん、JUSさんがおっしゃるとおり、
    人間だから、そらいろいろんな人間がおるんでしょうし、それを否定はしませんが…。
    でも、「それを言っちゃあおしめえよ」です。
    「人間だから、いろいろやねん」ということが免罪符となって、
    根拠の薄い個人の想像が、あたかも事実であるかのように語られることがあるとすれば、
    それには違和感があります。それは誤った態度です。
    「世の森羅万象にアカデミズムの光を当てる!」と「アカデミズム」(理論を重視し、学問・芸術の純粋性・正統性を守ろうとする立場)を謳っているラジオを主宰されている方なのですから、
    やはり最後まで理論を重視してほしかったです。
    「人間だもんな。いろいろおるわな」という言い方は、ちょっとがっかりしました。
    もちろん、人間ですから、理屈に合わないことはたくさんありますよ。
    でも、そこを果敢に理論で突き詰めてこそのJUSさんじゃないっすか。
    …なんか、最新回(某鉄道会社とのやりとり)みたいな趣になってしまいました。すんません、偉そうに。

  11. JUS より:

    >risuさん
     亀レスでスミマセン。
     書簡の雰囲気から口語の状況を類推するのが無理なんであれば、どうやっても口語の状況を捉える事は出来ないと思います。様々な記録を読もうと所詮は文語であり、あくまでも一場面の記録でしかないので無理でしょう。
     そういう意味では「諱は日常的に使わない」というのを金科玉条のごとく言う事こそそもそも無理があるのであって、言い方としては「諱は普通はああいう風には使わない筈なんだけどなぁ」くらいにとどめるべきだと思いますよ。
     そして、そこを無根拠であったとしても「色んなやつおるねんし色んな呼び方もあったっぽくね?」と想像を働かせるのはそんなに悪い事じゃないと思います。そもそもタイムマシンでもなければ立証不可能な部分についてな訳ですから。
     そうした行為をしないのは、想像力の欠如じゃないかと思いすらします。
     また、「それを言っちゃあおしめえよ」という事ですが、まさにそれでおしまいにされるべき話だと思いますよ。
     そもそも事実であるかの様には言ってません。無意味に“多分”とか“と思います”という表現は使ってないです。あくまでも「それっぽいなって気がします」という表現ですから。
     少なくとも「諱を呼ぶ事で恨まれて家臣に切り殺された武人の話」が残っているという事は、諱を呼んだ本人は「切り殺されるほど失礼な行為じゃない」と考えていたという事ですし。平安時代であっても口に出して諱を読んだ人間がいるという事はある程度 確かと言えると思いますが。
     繰り返しになりますが、僕は最初から
     「諱を使う場面もあっただろう。家庭内でも呼ぶ機会はなくはないだろう」
     ってだけです。
     「日常的に諱は使われていた」とは思ってません。
     とりあえず(2)については「色々おるの凡例として出してます」、(3)については「先にも書いた通り政宗以外でも諱は使うべきじゃないとされるべき場面で使っている」&「細川忠興は“tadauoqui”って書かれてるっぽい」という感じです。

  12. risu より:

    亀レスだろうが、亀田兄弟だろうが、
    ちゃんと返信いただき、ありがとうございます。
    誤解していただきたくないのでくりかえしますが、JUSさんが、「名で呼んでるところもあったんだと思うんです。勿論、呼ばない家の方が多いとは思うんですけどね。」とおっしゃっていたので、どういう根拠がおありなのかな、と疑問に感じて、「どういうことなんすか?」「根拠はなんすか?」と質問したまでで、
    そこでJUSさんが根拠として政宗の書簡を出されたので、それは根拠としてはふさわしくないよね?だって、手紙だよ?口語を筆記した資料じゃないから、「名で呼んでいた」の根拠ではありえないやん…という疑問が湧いてきたので、質問しているだけです。
    別に個人の「想像」を非難するつもりもありません。
    JUSさんほどの理論的な方なのですから「思うんです」とおっしゃるならば、たんなる想像ではありうるはずもなく、何らかの論理的な根拠があるはずだと思い込んでいたもんで、そのため、根拠を知りたい、と思っただけです。
    ただし、その「根拠」が、「根拠たりうるのか」というところが、まさに今回の問題なわけですが。
    さて、以下、長々と反論です。
    「所詮は文語」と言い出したら、それこそ「想像力の欠如」でしょうし、資料が、書かれたもの(文語)しか残っていないことを盾にした、開き直った馬鹿げた考え方だと言わざるをえません。
    文語であっても、口語が再現されている(口語特有の口吻を伝える)資料はあるし、それは現在の文語においてもそうでしょう。
    もちろん、音声そのものを百パーセント再現することは不可能です。文語は文語であって、口語を再現することは不可能です。
    でも、「こんな感じなんじゃない?」というレベルには、推測可能です。
    ありえない仮定の話ですが、音声資料&画像資料が1000年後に何らかの事故でまったく伝わらなかったとしたら(そんなことはありえないですが)、そして書かれたものでしか口語を再現するしかなかったとしたら、
    十中八九、テレビドラマやアニメの台本や、小説の台詞の部分によって、あるいは、インタビューを口述筆記したものを利用するでしょう。現代の小説の台詞の部分から、「たぶん、こんなふうに話していたんだろうなぁ」なんて、西暦3012年の人間は想像するはずです。そして、その想像は大きく外れてはいません。
    所詮は全てが文語なんだから、物語の台詞の部分は口語性が皆無だ、なんて言うヒトはいないでしょう。小説の台詞の部分は口語に近い言い回しを伝えていると考えて差し支えないでしょう。
    口語を問題とするなら、間違っても「時節柄、ご自愛専一にてご精励くださいますようお願い申し上げます…」といった定型のある手紙は史料としては採りあげるべきではありません。また、残された手紙やメールの文章を根拠にして、「口語の状況を類推する」のは、首をかしげざるを得ません。
    もちろん、話すように書く場合もありますし、口述筆記の音声ソフトを使ってメールを書くといった例外はありえますが、それよりも、小説や台本、口述筆記を参考にした方が、口語の一般的な様態を再現することの能率がよいことがわかるとおもいます。
    そう考えれば、文語であろうとも、口語を類推することができる資料が、書簡のみとするのは偏頗であることがわかるでしょう。
    1000年前(平安時代)でもいいですし、500年前(室町時代)でもいいですが、書簡のみが口語を類推することができる資料ではありません。物語や説話の台詞、抄物などの口述筆記などなど、文語でありながら、口語を類推できる資料はたくさんあります。
    「書簡の雰囲気から口語の状況を類推するのが無理なんであれば、どうやっても口語の状況を捉える事は出来ない」というのは、狭い了見です。
    JUSさんの理屈では、音声資料の収集が可能になった近代以降からしか、口語の再現は不可能ということになってしまいます。
    それでは、イントネーション、アクセントや方言の研究などは、成りたたないことになります。
    これらの研究は、JUS理論によれば、音声史料の収集が可能になってはじめてできるようになったはずですが、
    古い仏教の仏典の教典などに、アクセント記号や発音記号が使われている(仏典は、音読される(唱えられる)ことが前提で作られた、口語性の強い史料が多い)ので、仏典語のアクセントや発音は、古い資料から再現する研究があります。また、やはり筆録史料によって、方言なども一部は再現できるとして、研究をすすめている学者もいます。
    そういえば、金田一さんが、平安時代の仏典・辞書のアクセントや発音記号をもとに、平安時代の口語を推測され、それを関弘子さんに『源氏物語』の朗読をとおして再現してもらったカセットテープがあります。もちろん、これはどこまでいっても文語を通しての口語を「推測」しているに過ぎないのであって、「音声そのものを再現」することはできませんが、ただ、「こういう発音、アクセントであったろう」ということは、おおむね根拠のあるかたちで推定できている、と考えられます。もちろん「百パーセント同じだな!」というのは無理筋です。ただ、「まあ、だいたい、こんなんちゃう?」というのは、あながち間違ってはいないと考えて良いでしょう。
    こうした地道な研究分野があるのですが、
    JUSさんの発言では、こういう研究は学術的な価値は認めない、ということになります。それでよろしいのでしょうか?
    歴史や文学は、実証性がないとされ、攻撃されます。理系の人間からは、「学問ではない、道楽だ」とさえ言われます。
    しかし、誠実に史料に向き合い、科学的、実証的にちゃんと研究されている分野です。
    「タイムマシンでもなければ立証不可能」と言われればそれまでで、それならば、「アカデミズム」で何かを明らかにするこのラジオで、歴史などの文系分野は、採りあげられることができなくなってしまいます。
    「立証不可能」であるから、それでは根拠なく何を言ってもいいというわけではなく、むしろ立証不可能であったとしても、ストイックに、誠実に史料に向き合って研究されて明らかにされた、先学の積み重ねがあるのですから、それに「異論あり」と強くおっしゃる以上は、それを超える、確実な史料の積み重ねが求められるように思えます。
    JUSさんは、「あくまでも「それっぽいなって気がします」という表現ですから。」とおっしゃっています。
    「それっぽいなって気がします」とおっしゃられているように、一種の思いつきでおっしゃったので、さほど根拠はなかった、ということだったのだと、今は理解しています。
    「政宗の書簡が~」と、時代やシチュエーションも異なる「根拠」(私は、それは根拠たりえないと申し上げ続けているのですが)を持ち出しても、それはピントのずれた話になるだけで、
    そういう場合は、素直に、「そういう気がしたのよ、そういう気が。思いつきよテヘ」と言ってくれれば、「なーんだ」で済んでいた話でした。
    別にそうなったからといって、私はJUSさんを攻撃することはありませんし、桜川マキシマーとしてこの放送を応援しつづけることに変わりはありません。
    なんつーか、もっと素直になろうよ、と感じました。
    別に私は怒りはしませんし、怒る言われはないですし。
    無理が通れば道理が引っ込むといいますし、某鉄道会社とのやりとりでJUSさんが大嫌いと公言されていた欺瞞的態度を、JUSさん自身がとられていることになっちゃいやしまいませんかねぇ。
    もし、どうしても「文語では口語の完璧な再現は不可能、したがってそのような研究は学術的な価値がない」とご主張なさりたいならば、
    日本学術会議という内閣府の特別の機関が、そういう研究をしている団体を「日本学術会議協力学術研究団体」として指定し、助成金として税金を投入し、研究を助成しているはずですから、とてもけしからん理屈になります。(私は、けしからんとはまったく思いませんし、そういう研究には税金を投入すべきだと考える人間ですが)
    某電車会社に抗議されたように、ぜひ厳重な抗議と、研究の差し止めを申請してください。何なら、裁判おこしちゃってください。もちろん、番組内で、逐一、その状況をご報告ください。
    ところで、JUSさんが、某電車会社から、「ペースメーカーもいろいろやねん!」「電磁波シールドもいろいろやねん!」と言われ、
    キレてご自分で電磁波とペースメーカーの相関関係を実測して、そのデータを電車会社に持ち込んだら、
    「そんなん、あんたが勝手にやって証拠言うてるだけやろ?立証不可能や!」
    「電磁波なんて目に見えん。計るったって、百パーセント精確な計器なんてこの世に存在せん。どうやっても電磁波の状況を捉える事は出来ないんや!」
    と開き直られたら、もちろんご納得なされるんですよね?

  13. JUS より:

    >risuさん
     すみません。長文書いて頂いたんですが手短に。
     まず、risuさんは文章や発言を極端に捉えられるきらいがあるかと思います。
     そもそも、最初のこちらの書き込みが軽い物だってのは、その後のrisuさんとのやり取りがなくても伝わる物だと思いますし。
     また、「そんな風には言うてへんやん」という風にこちらの意見を取っておられます。
     「○○だとすれば××は△△である」としている場合に「××は△△だとおっしゃいますが」と仰ってしまう様な。
     こちらからすると「いや、だからそれは○○の場合だけやって」となっちゃう事が…ちょっと多いです。
     それを一個一個訂正しながら書き込むの、正直しんどいです。
     これではちょっとした意見交換すら出来ないかと思います。
     あと、論点とされたいのがどこか判りにくいんです。
     歴史学という物への思い入れも理解出来ますが、ちょっと暴走気味じゃないかと。

  14. risu より:

    暴走気味ですんません。
    「諱が日常で使われていたというなら、根拠が知りたい」だけです。
    それについては結論が出ているように思えます。
    現存する資料は所詮は文語だから、口語が再現できない、
    というようなことをおっしゃっていたので、
    「屁理屈もたいがいにせい」と思っただけです。
    かみ砕いて説明しないとご理解いただけないと判断しました。
    説明長くてすんません。

  15. JUS より:

    >risuさん
    >諱が日常で使われていたというなら
     この時点で既にこちらの言ってることと違います。
     ここをすら未だ御理解頂けないんであれば、もうちょっと意思疎通すら無理っぽいですね。
    >現存する資料は所詮は文語だから、口語が再現できない
     これも、そんな事言ってないですよ。何でその前の書き込みを踏まえて捉えて頂けないのでしょう。
     「他の記録から口語を類推出来る様に、書簡からも類推できる事はあるでしょう?」と言ってるんですが…。
    >かみ砕いて説明しないとご理解いただけないと判断しました
     噛み砕いて説明しないと理解出来ないんじゃないです。
     仰ってる事はおそらく理解してるんです。
     こちらの言っている言葉を前後の文脈を無視して抜き出して、あえてrisuさんの気に障る様に解釈しておいでです。
     そうされる以上はスルーさせて頂く事にします。悪しからず御了承下さい。

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