第292回 平成23年9月29日 「さくらがわまにあっくすの五十八 ちんさんとミッツィー」 28分53秒
ちんさんからネタフリを頂きましたので今回のテーマは惟任日向守十兵衛光秀でございます。
戦国期のキーパーソンとしてよく知られていると思っていたJUSですが、gyasyaによって実はあんまり知られていない事に驚いたり、そんな感じです。
今週の内容は…
- ちんさんから明智光秀を語れとの下知
- 例によってイメージがあやふやなgyasya
- 何でもやる人
- 本能寺の変の真相・諸説
- 南光坊天海か?
平成23年9月4日に収録
コメント
もうね、世の中の、歴史=戦国ファンは、「信長の野望」から始まっていて、そこにまったくノータッチで過ごしてきた僕は、もはや、そこにはいけないような気がしてきました。
11月が待ち遠しい(笑)
分からないながらも、光秀に対する僕のイメージは、運のない人、くよくよする人、器用貧乏、キャパシティの低い人、余裕がないと優しくなれない人・・・みたいな印象です。
さほど優秀でもない人が、浮かばれない自分を顧みるときに「俺は光秀なんだ。運がないだけだ、上司が悪い、同僚のあいつが憎い」みたいな感じで、感情移入するような姿を想像してしまいます。
天海説は僕も何かで読んで、超かっけえと思ったんですが、オリジナルは誰なんでしょう。
これ思いついた人は、やったった感があったでしょうね・・・と書いて思ったんですが、有名な作家なり学者なりの説であったとしたら、それを知らない僕は恥ずかしい奴になってしまいますね(笑)
>とっしゃんさん
それはつまり「信長の野望」にこれから触れられるという夢の様な状態ですねw
しかし、最近は「信長の野望」から「戦国無双」「戦国BASARA」に移りつつあるのかなぁとも思います。ますます歪みますねぇ。
近衛前久については…、頑張りますw
光秀のイメージについては、信長の冷酷苛烈さと同様、秀吉政権下で醸成されたんだと思います。
確か「惟任退治記」だったと思いますが、秀吉が書かせたのが第六天魔王な信長と上手く行かない光秀な感じで。
一方、「信長公紀」だと実務家って感じのイメージで、僕はこっちにだいぶと影響されてると思います。
天海説は多分、江戸期に講談なんかで広まったんだと思いますよ。
実際、本人かどうかはさて置き、関係者だったんだろうと思います。
以前、テレビで観たんですが、光秀と天海の筆跡鑑定をしたら「別人だが特徴は似ている。縁戚関係にあったんではないか」と言われてました。って言うのをWikipediaを見て、記憶がよみがえりましたw
ちなみに、天海と同じ年齢の人物として足利義輝とか織田信行なんかもいるんですよね。うふふ。
近衛前久も同じ年齢ですけどw
日本史を全くノータッチで高校時代を過ごした私としては、こういう話は大変にためになります。
幸か不幸か親父にNHK大河ドラマを強制的に観させられていたので、ジェームス三木風の戦国時代観をすっかり植えつけられています。
親父は歴史物好きなのかと思っていたら、自分が染めた着物が出てくるのをチェックしていただけだと最近判明しました。職人さんだったので。。。
いろんなドラマでも光秀像についてはJUSさんのいうような、典型的なヘッドハンティングされたエリート扱いで信長に重用されていますよね。
その点で生え抜きの秀吉との違いで、後の冷や飯を食わされた感じで強調されてます。
実際どうだったのか想像つかないんですけど、そもそも信長と光秀はキャラクター的に反りが合わなかったんでしょうね。
とっしゃんさんと同じく『信長の野望』はやったことがなかったのですが、去年初めてモバゲーの『100万人の信長の野望』に嵌ってしまいました。
最近はあまりにも面倒臭くなってやめてしまいましたが、凄い試みだと思います。
私がやっていた時に150万人突破記念をしていたので、おそらく10万人以上がプレーしているゲームです。(やめた人も多いのと、複数アカウント可能なので、それくらいかと。)
各プレーヤーが好きな大名の家来になって、プレーヤー同士でチームを作って集団合意の下でどの城をせめるのか、他の大名に寝返るかなどを決めるシステムが充実しています。
こうなると、単なる戦国シミュレーションゲームなのではなくて、壮大な行動実験のシミュレーションです。
研究者が喉から手が出るほど欲しがるデータをコーエーはいとも簡単にネットゲームという手法で収集しているところが凄いアイデアだなと感じました。
是非とも次回の話題にお願いします。
>モップンさん
結構ヒヤヒヤしながらアップしてるんですけどね、ホントは。
と言うのも、宗教関連なら頑張れば言い返せますけど、歴史関連は事実誤認とかがからむと指摘されると弱いので…。その辺、あくまで愛好家なんですよねw
着物の件は素晴らしいですね。
書いておられる内容から思うに特にこの作品という訳ではなく複数の作品に関っておられたんでしょうか。凄いなぁ。その辺の話、凄く面白そうですね。ホントか書けそうなにおいがw
光秀と秀吉の関係性については、ほとんど残ってないんですよね。
と言うのも、こうした話って言わば織田家内部の話な訳で。本来あんまり記録に残らない所なんだと思います。
上のコメントでも書きましたが、現在の秀吉像ってかなり作られたものだと思うんで、エリートの光秀に秀吉がおべんちゃら言うみたいなところは出て来ないのはそういう事じゃないのかなぁと思います。実際は他の重臣を相手にするのと同じ様に接してたんだと思うんですけどねw
おお、モバゲー。なんとなくモップンさんのイメージと違うw
一応、あのゲーム、ソーシャルゲームだったんですねぇ。
ただ、ああいうデータ取りって意欲的なゲームを作るにあたっては凄く有用だと思うんですが、コーエーが『信長の野望』の次回作を出す気がないんですよね。
この辺、金さえくれればいいアイデアあるんですけどねw
次回の話題ですか~。頑張りますw
遅ればせながら、ネタの採用ありがとうございます!
失敗らしい失敗の無いのに負けちゃった人なんでしょうか。そのあたりの説明が難しいからキレた人扱いされるんでしょうか。もしかすると、主体性の弱い人だったのかも知れませんね。義理と人情を秤にかけてぇ〜みたいな部分もあったり・・・。なんか、分かったような分からんかったような・・・。
話がそれますが、最近冷や酒を飲むようになりまして、毎晩3、4合飲んでるんですよ。まぁ、アル中まっしぐらですね。
今も飲みながら放送を聞いていたんですが、お二人の声が、酔った頭に心地よい。心地よい。しかも話題が日本史とくれば、この上なく美しい武将達の名、織田、長宗我部、なんてのが脳内に音として文字としても響き、大変心地ようございました。
そうそう小学校の同級生に明智、赤松、長宗我部、長友、宝来、和気、秦などいまして、社会の先生は嬉々として出席を取っていました。
>ちんさん
いえいえ。こちらこそありがとうございました。
歴史関連のネタはあんまり自分からネタにしようとならない分、こうして誘い水を頂けると大変ありがたいですw
いやぁ、光秀は前半生、むしろ失敗続きだったと思います。行くとこ行くとこ主家が傾くという…。この辺、藤堂高虎に似た趣がありますが…、二人とも後世、勝手に奸臣扱いされちゃってるのも似てますねw
そう考えると義理人情の人かもしれません。藤堂高虎もそういうエピソード多いですし。
3、4合はちょっと多いですね。御自愛下さいませ。或いは、どうせなら例のいまいち緊張感のないデモ隊を見降ろして乾杯…とかw
しかし、その同級の方々は凄いですね。さすがに神戸市北区ですと赤松はいましたが、長宗我部は…。『教師びんびん物語』だw