第238回 「鷲豚」


頑張って読んだ







第238回 平成22年10月07日 「鷲豚」 15分4秒



 おまっとうさんでした!


 以前に告知してから随分と経っちゃいましたがようやく御届け!


 テリー・イーグルトン『宗教とは何か』の話でございますよ!!



 今回は前後編に分けて御届けします。まずはどんな本なのか。ダイジェスト的になっちゃいますが、どうぞお聞きくらはい。



 今週の内容は…



  • 読み込みましたよ!

  • テリー・イーグルトンってどういう人?

  • マルキストならではの特徴

  • それはそれ!これはこれ!




平成22年9月20日に収録


 今回の関連エントリ






 なお、10月の『もこパレ』イベントは10月11の月曜日、体育の日の祝日ですよ!


 いよいよ!



ライブシアターなんば白鯨


〒542-0074


大阪市中央区千日前2-3-9 味園ビル2F


Tel:06-6643-5159



19時開始


入場料:500円(1ドリンク別)


 gyasyaの御出掛ポッドキャスト。ミッチートークの宣伝が忘れ去られておりました…。


 第四回後半・第五回・第六回前半をどうぞ~。



コメント

  1. ちん より:

    私の癖は、その人のバックグラウンドからその人の考え方の癖を探ることです。また考え方は固定したものではなく、一枚一枚のレイヤーのようであり、その時その場のその重なり方でものごとの見え方が違ってくるのだと理解しています。
    多種多様なレイヤーを持つ人の頭の中には、風吹かれたりして、偶然に絶えず変化しながら複雑で多様な図が描かれ、また面白いのだと思っています。
    T・イーグルトン。イギリス、オックスブリッジ出身、キリスト教徒かつマルキストの文芸批評家、哲学者。
    イギリス経験論者というより、ドイツ観念論、ヘーゲル的というところでしょうか。おっしゃる通り、固定観念的でちょっと取っ付きにくいですね。
    最近宗教を「道徳」や「倫理」を伝える「叡智」として捉える考え方に接してから、宗教に対して少し肯定的になりました。もしそれが法であればそれでもいいですし、金であるならそれでもいいです。ガンダムも良しとしましょう。
    ウッディ・アレンの映画「重罪と軽罪」から引用。
    「神の創造には愛が欠けている、しかし人間の愛は意義を生み、努力は喜びを見い出す」
    この台詞の後「未来の世代に託す」と言った大学教授は自殺するという設定。ウッディのそういう所が好きな所以。
    イーグルトンも観念ではなく”自らの”ものを語ってくれたら見直します。
    マジ返しで攻めてみました。どや?

  2. タイ古式マッサージの使い手 より:

    小学2年の夏休みに和歌山の高野山に行った時、
    熱心な仏教徒である、婆さんに、
    何か鉄アレイみたいなヤツを指差され、
    「これは弘法大師さんが中国から投げたんやでー!」
    と言われ、
    「婆ちゃんの言ってる事は絶対間違ってる。。でも、おもちゃ買って欲しい。。」
    と、思いながら、演技バレバレで、ビックリしたもんですww
    今となっては、「ちょっと、弘法大師連れて来い!」となってしまいますねw
    あ、そうそう、おそらくですが、
    おととい、
    ターペー門という有名なスポットで、
    自転車にヘルメット、半袖Yシャツにネクタイという、日本でも見掛けるモルモン教の宣教師風なのがいましたよ!
    彼等はどこでも、あの服装なんですねw
    人の集まる所にモルモンホイホイ仕掛けましょうw

  3. JUS より:

    >ちんさん
     そういった読み方をするとこの本は少し物足りないというか、掴みどころが無いというか、歯噛みする様な感じを受けるかもしれません。
     読んでいて論理でもパトスでもない中途半端な部分をフワフワと漂っている様な感じなんですよね。「おいおい、せめて魂の叫びを響かせてみろよ」って思っちゃう感じです。
     ま、そうやってハスに構えた感じを出すのも、この人の癖なのかもしれませんが…。
     僕の癖はと言うと「人間が何かを主張する時、結局は何らかの感情を満たしたいって初期衝動がある筈」って所を考えちゃうところですかね。多分、現代国語教育のせいですねw
     以前もコメント欄で少し触れたかもしれませんが、宗教を「叡智」として捉える考え方って馴染めないんですよね。何処か欺瞞を感じるんですよ。言語化出来たらネタにしますw
     ちなみに、ガンダムは来週分で登場しますw
     実はウッディ・アレンの映画を観た事が無かったりします。てへ。
     ちょっと落ち着いたらまったり観てみようかしらと思います。
    >タイ古式マッサージの使い手さん
     弘法大師すげ~。凄いけど、何故投げたw
     是非とも科学者の方に炭素同位年代測定とかで弘法大師以降の世代に作られた物だって証明してほしいもんですねw
     しかし、おもちゃを買って欲しいって目的の為に事を荒立てず、その場の和を優先する辺りが日本らしいw
     モルモン教は熱心ですね~。今、wikipediaを見たらケント・デリカットだけじゃなくてケント・ギルバートもそうだったんですね。ふむふむ。
     ちなみに、チャック・ウィルソンは怒ると「俺は戦争で人を殺してるんだ。オマエも殺してやろうか!」って怒鳴るらしいですw

  4. ダンコン より:

    キリスト教から離れられないのは
    「キリスト教しか知らないよ!でもやるよ、一応!やらないよかマシだしね!」
    とかなり前半部分で一応エクスキューズされておられたので、まぁしょうがないような気がします。
    これはタイトルがよくない!
    「宗教とは何か」より「キリスト教とその周辺と私達とは何か」にすればいらない誤解されずにすんだのに。
    それにしてもJUSさんのダイジェストが判りやすくて惚れ惚れ。
    桜川マキシムの解説(批判!?)入りCDをセットで売り出せば、より理解が深まるはず!
    売れるかどうか判らないけれど!
    後半も期待しております。
    ちょっと話題はそれますが、マイケルでサンデルな教授に言わせれば正義の根拠は3つ。
    自由、幸福、美徳なのだそうです。
    今までアメリカでは自由と幸福に関しては散々議論されていおりましたが、美徳はそうでなかった。
    「だから一緒に美徳について考えようぜ!」
    とこれからの正義で語っていますが・・・その「美徳(愛や善意が促す行い)」をかの国では宗教で埋め合わせていたのではないか?
    宗教ぬき、生で丸出しの「美徳」を語ったから大学生に斬新で特に面白く見られたのではないか?
    災害がおきても目立った混乱が起きない最低限の美徳がまだ残っており、
    宗教云々についてかなりフラットな位置にある日本人はどうして「これ正」に惹かれているのか?
    ちょっと照らし合わせて読みました。
    う~ん、じゃすてぃす!
    あとどうでもいい事を付記
    テリー・イーグルトン著『文学とは何か』における記述は筒井康隆の『文学部唯野教授』の下敷きになった(Wikipediaより)
    な、なんだって・・・!?

  5. とっしゃん より:

    うーむ、いかん。
    大学生の甥相手に大人気ない罵りあいをしていたら、乗り遅れてしまいました(笑)
    すいません、読んでません。
    マルキストって言ってもマルクス兄弟が好きな人のことじゃないですよね(笑)
    史学の世界でも、一時期、「マルクス主義に乗っ取って~」というのが決めゼリフだったらしいんですが、ソビエトの崩壊と共に消えうせていったそうです。だから、けっこう絶望している人は多いかも。
    もはや読まないでもJUSさんのダイジェストを聞くだけで充分かと思えてきました。

  6. MasaruS より:

    キビシいなぁ。
    テリー・イーグルトンの著作の中には好きなものもあるので、ちょっと切ないです。
    お題の本はまだちゃんとは読み込んではいないのですが、話がキリスト教中心なのは、本人が1章の序盤でそう断っているので許してあげて下さい(憧れのダンコンさんと重複しますが)。大風呂敷ひろげるよりも、知ってる範囲で(provincial than presumptuous)ということらしいです。
    さて、イーグルトンを擁護するわけではありませんが、日本語版のタイトルの訳が極めてミスリーディングだと思います(これもダンコンさんと重複してますね)。『宗教とは何か』というタイトルの本であれば、手に取った人は当然「これが宗教だ」という結論を期待してしまいます。
    しかし、原著のタイトルは Reason, Faith, and Revolution: Reflections on the God Debate。メイン・タイトルはザックリとした三題噺風で間口を広げている感じですが、サブタイトルのほうは明快で、要はこの本は、「宗教」ではなく「宗教論争」についての本です。よって、この本がJUSさんにとって期待はずれだったのはうなずけます。
    本になる前の講義段階のタイトルは “Faith and Fundamentalism: Is Belief in Richard Dawkins Necessary for Salvation?” で、もっとわかりやすいと思います。巷間セットで論じられる信仰と原理主義とを腑分けして宗教の濡れ衣をはらしつつ、ドーキンス的な科学主義も宗教に取って代わるものにはならないというのが全体の見取り図。ついでに宗教に革命の契機を見いだしたり。サブタイトルの言い回しは、例の「ユーモア」でしょう。
    3章序盤の “Without reason, we perish; but reason does not go all the way down. It is not wall to wall. Even Richard Dawkins lives more by faith than by reason.” あたりが、イーグルトンの立場を簡潔に表していると思いますし、この点については私は概ね共感しています。
    ちなみに、調べてみたら、Terry Lecture というのは、人道主義的な観点から宗教について考える機会を公に提供することを目的とし、自然科学・人文科学的知見と宗教の連携を企図するもののようです。よって、アンチ宗教の人は聴きに来ないでしょうし、基本的に聴衆は宗教に理解のある穏健派だと思いますし、内容はそういう人むけになるでしょう。
    それに、記念講義ですから、ハード・コアな内容を求めるのも酷な話だと思います。
    あと、世間一般から見れば意外かもしれませんが、学問の世界ではマルクス主義の影響力は未だに強く、決してキワモノ扱いではありません。特に歴史学などの人文科学ではその傾向が顕著です。ともすると主流と言っても過言ではないかもしれません。もちろん、実学寄りの社会科学ではそれほどではありませんし、ベタなマル経の人はほぼいなくなりましたけれど。
    思いつくままに書いたので、長くなってすみません。
    ○Dwight H. Terry Lectureship | Terry Eagleton
     http://www.yale.edu/terrylecture/eagleton.html
     ※本の元になった講義の動画を見ることができます。

  7. JUS より:

    >ダンコンさん
     おお、今回の放送分で最も感想が気になる方、ダンコンさん!
     御感想ありがとうございます!!
     確かに、その辺は言うてましたね~。
     ただ、正直、それを読んで「舐めた事ぬかしてんじゃねえ。調べて喋れ。大体、宗教なんて本質は一緒じゃ!」って思っちゃったって感じでしたw
     確かに、タイトルだけでもだいぶ印象は違う気もしますw
     CDセットにするなら、『神は妄想である』辺りと両論セットにして、とかの企画はいかがでしょう。多分売れませんけど!w
     ふむふむ。確かに、宗教抜きの美徳を価値観として共有してなさそうですもんね、アメリカ。
     その点で言えば日本で受ける理由、確かに難しいですね。一つ思っているのは、直接的な言葉で価値観をぶつけて来るって経験が乏しい日本人には斬新なんでわ!ってところですが…。どうなんでしょう。
     『文学とは何か』と『文学部唯野教授』も読まなきゃですね。『文学部唯野教授』は次回で少し触れますけどね。
     ちょいと図書館へ。
    >とっしゃんさん
     その罵り合いの内容が気になる!w
     とっしゃんさん、あまりそういうイメージじゃないので意外ですw
     マルクス兄弟でAVメーカーの方を先に思い出しちゃいました。スミマセンw
     いや~、絶望してる人、多いですよ。絶望してるクセに捨て切れていないもんだから、ふいに顔をのぞかせたりなんかして。妙に資本主義って単語を使う60代半ばのおっさんはそういう人種だと断定しちゃってますがw
     本については、講演を基にしているのでちょっと冗長かもですね。よっぽどおヒマならって感じですw
    >MasaruSさん
     キリスト教中心な点については、これまたダンコンさんへのレスコメントとかぶっちゃいますが、言い訳されているからこそちょいとイラっと来ちゃいました。
     実際はキリスト教に独自の部分って“愛”って単語が多目に出て来るくらいですから『宗教とは何か』というタイトル通りに捉えちゃっても問題ないかなぁとも思います。
     僕がタイトルを付けるとすれば“非原理主義的宗教の社会的有用性についての主張”って事になりますかね。
     ただまあ、第一章の辺りはやっぱり僕としては容認出来ないんですけどねw
     なるほど、それがTerry Lectureなんですね~。
     でも、そういった聴衆を前提としているんであるからこそ、あれじゃダメなんではって気がします。
     聴衆も新たな視点を持ち得る訳でもなく、単に言語化しづらい部分を偉い先生が上手い事 言うてくれた!で終わっちゃうんではないか、と。
     ま、本来、本にして出版する様なもんではない様な感じなんでしょうか、ね。
     マルクス主義の影響は確かにでかいですよね。
     下手の横好きで独学でしかない自分から見ても歴史学は、ようやくマルクス主義的史観から抜け出しつつあるくらいですもんねぇ。
     映像の方、チラッと見てみました。
     最初に出て来た進行役のオッサン(っつっても教授だったりするんだと思いますが)がイーグルトンかと思って、「イーグルトンって許永中みたいなんだな」と思ってました。
     で、その後にイーグルトンが出て来て「許永中じゃなくて小田実だな」って思いましたw

  8. とっしゃん より:

    大人気ない罵りあいでした(笑)
    身内だからこそ無視できず、かつ身内であるがゆえに段取りが滅茶苦茶になってしまったんですが、要約すると、
    甥「村上春樹がノーベル文学賞を取ったら、流される国民性ゆえに「にわか読者」が増え、そうしたにわか読者が、村上春樹を読まない私の人格を攻撃してくるので、ますます村上春樹を読みたくなくなる」
    僕「そもそも読む気がないなら、ノーベル文学賞を取ろうが取るまいが、誰から何を言われようがまったく関係ない。そんなのただの被害妄想だ」
    です(笑)

  9. ちん より:

    >とっしゃんさん
    甥御さんの年代で村上春樹はやっぱでかいですよ。私の若い時でさえ、読まない、興味ないと告白しましたら、奇人扱いでしたから。
    私の友人曰く「ナニ書いたん?やわ」ですし、私は「ビートルズ演奏するつもりでずうとるびになってしまったような作品」と分類しています。
    よかったです。彼がノーベル文学賞なんてとらなくて。ほっとしました。

  10. JUS より:

     『ねじまき鳥クロニクル』って聞くと脳裏に赤髪でマスクをして黄色いパイロットスーツを着た兄ちゃんが浮かんで困ります。よね?
    >とっしゃんさん
     なるほどw
     
     僕なんかだと、そんなに強硬に「何故読まないのだ!」なんて言われちゃうとニヤニヤしながら戦闘態勢を取ってしまうと思うなぁw
     そんなに面白い状況、楽しまないと損だと思うんですけどね~。
     もし本当にそんな攻撃を受けるんであれば僕も読まないでおこうと思いますw
    >ちんさん
     おお、そんな扱いを受けるんですね。
     僕の周りでは読んでいるヤツって以前に放送に出て来た坊主くらいで。ひょっとしたら『マディソン郡の橋』の方が読んでいる人間が多かったかもしれません。
     と、ここまで書いていて、その坊主から『ねじまき鳥クロニクル』を借りて読まないまま放置していたんではないかという疑念がw

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