第271回 「Sakuragawa Maxim Copyright Courseの十三 上げたり貸したり」










第271回 平成23年5月19日 「上げたり貸したり」 33分42秒



 何気に別収録音源を混ぜて御送り致します。



 前半はいわゆるアップローダーについて。話に出ていた元記事はコレですな。


 後半は著作権法と図書館という業態の兼ね合いを考えまっす。



 今週の内容は…



  • どういう仕組み?

  • 『さばラジオ』『トリカゴ放送』とやろうとしている悪巧み

  • 図書館って何なのさ

  • 司書って何する人

  • 図書館の人に聞いてみよう




平成23年2月19日&平成23年4月17日に収録

コメント

  1. とっしゃん より:

    図書館封印・・・はさすがにできないなあ(笑)
    僕も比較的、図書館を利用している人間だと思います。
    月に15冊ほど本を読むのですが、そのうち5~8冊程度を図書館で借ります。
    単行本なり、文庫落ちなりした所謂、新刊は多くて5冊。あとはブックオフ等の古本屋で購入します。
    書籍代、置き場所を考えると利用せざるを得ないんですよ・・・。
    そんな僕でも東野圭吾とか道尾秀介の予約待ちが300人となっていると、ちょっと怖くなってきます。○○ファンとか趣味・読書ってそういうことなのかと・・・。著作権とは別のところで、読むほうの人のポリシーを疑ったりしてね。
    ファンって言葉も軽いなあ・・・とか。
    司書が悪いのか、図書館そのものの運用が悪いのか、本を並べ方や書庫行きの本の選択もなんか変だと思います。新しいってだけでしか判断してないだとは思いますが。
    しかし、桜川マキシムが有料化された場合、さらに本代を押さえる必要が出てくるかもしれないので、図書館にあまり文句を言うまい(笑)

  2. 怪文 より:

    え~。鈴木おさむの「考えるラジオ」の
    どこがなにを考えてるか、って質問しようと思うたのに
    いつもの如く興味あるぅ~なネタでして
    もう本当にありがとうございますww
    まずは「サバカゴマキシム」(?)周辺。
    ・・・絶対送水ニヤニヤシフトじゃん!と思うのは
    きっと私がロクデナシだからだろう、うんそうだろう。
    決済方法については私も他方面で試行錯誤ですが
    ・決済システムのロス
    ・握った個人情報管理のコスト
    これらを越えるのに一苦労、ってとこでして・・・。
    今のところ
    「個人情報ってほぼ取らなくていんじゃね?」
    というひとつの山はクリアしだしていますが・・・。
    そして図書館について。
    私自身は市町村合併の副産物として
    3つの図書館をハシゴ出来る環境にいるわけですが。
    意外と図書館司書、重要だなぁと思いますよ。
    かたや
    広大な敷地を遊ばせまくっている割に蔵書は古臭く微妙。
    かたや
    少し手狭ながらもバランスよい蔵書と見やすい棚作り。
    かたや
    http://d.hatena.ne.jp/kajika_eps/20100328/p2
    こんなものを買って悦ってしまう。
    棚作りなり蔵書選定なり
    やはり司書って一定必要だと思うわけです。
    ・・・ポジショントークちゃいまっせ?w

  3. risu より:

    こんにちは。いつも楽しく聞かせていただいています。
    図書館と著作権ということについて、これって昔から議論になっているように思います。JUSさんがおっしゃるような「みんな考えてない」ということはないですよ。ググればたくさんそれ系統のページがでてきますし。
    個人的には、図書館は利用しまくっているので、とても大切な施設です。国民の「知る権利」を担保するためにも、また知的で文化的な生活をするためにも、さらには裁判などの証拠の保全のためにも、図書館にはガンガンと税金を投入してほしいところです。
    ところで、群書類従ですが、既にCD-ROM化されていますね。「大空社 群書類従」で検索かけるとでてきます。
    文献名が検索できたと思いますが、さすがに全文検索できません。僕も持っているんですが、最新のWindows7では対応していません。XPでなんとか動くか動かないかだと思います。
    このCD-ROMは、群書類従の版本が提示されていて、さすがに活字本はおさめられていません。活字本は、二次著作物になってしまうみたいです(翻刻をしたということは、そこで権利が発生する、と判断されるようです)。ここいらへんの権利関係はよくわかりません。また、群書類従を翻訳したものを公開云々ということが話されていましたが、翻訳したら、それこそ翻訳した人に権利が発生してしまうので、「公開」はむずかしいと思います。
    著作権が切れた文献は、国会図書館のHPとかで、デジタルデータ化がなされていますよね。また、国文学研究資料館の、「マイクロ/デジタル資料・和古書所蔵目録」でもデジタルデータが公開されています。慶應がgoogleブックにデータを提供しているニュースもあります。
    http://www.atmarkit.co.jp/news/200707/06/keio.html
    著作権が切れた文献が、これからもデジタルデータで公開されることは、今後どんどんすすんでいくんじゃないでしょうか。
    ただ、デジタルデータで便利になれば、それで良い、という単純なものでもないように思いますし、問題点は多いと思います。

  4. JUS より:

    >とっしゃんさん
     そうなんですよね。15冊なんて、全部 新品で購入すると価格も馬鹿になりませんし、年間180冊だとすぐに本棚溢れちゃいますよねぇ。
     場所の問題だけでデジタル化を求めたくなるってのがありますね。
     そうそう。図書館に疑問を覚えるのは人気作の予約待ち人数を見る時ですねぇ。これだけの人数がタダで読んじゃうのか~という。
     読みたい本が書庫に行っちゃってるのもゲンナリしますねぇ。特に、隆慶一郎の作品の一部が書庫行きなのに峰隆一郎の作品がいっぱい並んでる時とか。あれ?違う??w
     有料化については、トリカゴさん・射導送水さんと喋ってる時に「一部のリスナーさんは無料に出来る仕組みを作りましょう」って話していたり。
    >怪文さん
     「考えるラジオ」のポッドキャストを聞いてみたら想像以上に鈴木おさむって滑舌悪いっすね。聞き取れね~w
     意外と「鯖かごマキシム」については現状 企画系番組なりそう、かなぁ。ぼちぼちつめていかないといけないんですが。
     確かに、個人情報管理って面倒ですね。管理しないってのはいいところですねぇw
     おお、あの本買っちゃったあそこなんですねwあのみっともない図書館w
     ん~、司書が不要という訳じゃないんですよね。ただ、昔ほど重要じゃなくなって来ていて、また、必要な情報も今はネットに転がっているよねとゆ~。
     そろそろ資格としてのあり様を考えるべき過渡期じゃないかなぁ、と。
    >risuさん
     問題として昔から議題に挙がっているのは認識しているんですが、身近な問題な割に、一般の利用者全般という意味合いでのみんなが意識していないんだなぁという感じでした。
     群書類従のCD-ROMの存在は知っていまして、僕も購入を考えたりもしたんですが、仰る通り検索機能もあまり強くないという事で二の足を踏んでいますw。そうか、7では動かないのか~。
     活字がデータとして収録されていないというのも不満点としてありまして、そこから今回の、「国民の財産として活字化・現代語訳化をデジタルデータで公開しろ」という発想になったんですよね。
     確かに翻訳物でも著作権は発生するんですけど、それこそ税金で版権買い上げて公開しちゃえばいいと思うんですけどねぇ。
     例えば、日本では出版物が発行される際に見本を国会図書館に提出させてますけど、あれもデジタルデータの提出も義務付けるとかすればいいと思うんですよね。著作権が切れた物からじゃなく、そういった取り組みをしていかないとアメさんにしてやられる一方だなぁとか思ったりします。

  5. risu より:

    返信ありがとうございます。
    群書類従のCD-ROMは、あまりおすすめできないです。版本の画像ですから、活字に慣れている人には「読む」感じにはならないと思います。
    県立図書館などの大きな図書館には、活字本(黒い本ですね)がありますから、それを入手するのがよろしいと思います。
    翻訳を簡単に捉えておられるようですが、昔の文章って、簡単に「現代語訳」できないですよね…?
    例えば、『源氏物語』なんか古典の現代語訳も、「完璧」ってないじゃないですか。みんなその時代の作家さんが現代語訳を出版し続けているわけで、読み比べればわかりますが、かなりそれぞれ違いますよね。
    そもそも、同じ文章であっても、品詞をどのようにとらえるか、どのように句読点を打つかなど、どう解釈するか、というのが、研究者によってまったく違いますし。特に群書の「現代語訳」なんて、たぶん専門家でもできる人はいないんじゃないでしょうか…。不正確な現代語訳を著作権フリーで公開してしまうと、世界に恥を晒すことになりかねません。
    とりあえず、群書類従に関しては、翻刻のデータを全公開することを、当面の目標にしてほしいところですが、たぶん、難しいでしょうねぇ。
    JUSさんがおっしゃるような、「電子納本」はすでに政治家が提言していたと思います。誰でしたっけか…文科省関係だった記憶があります。ただ、問題点は多い(著作権以外にもたくさん問題が想定できる)ので、難しいように思えます。

  6. JUS より:

    >risuさん
     最寄りの図書館、なかったんですよね。残念。
     翻訳についてですが、簡単に捉えている訳じゃないんですよ。
     例え外国に何と言われようが、どれだけ恥をかこうが、解釈の違いでもめようが、それでも気軽にアクセス出来る状態にするって事が重要だと思う次第です。そこは外人に「タダで読んでるくせによそもんがグダグダ抜かすんじゃねえ!」と麻生辺りにすごませておけばw
     また、解釈の違いや、翻刻の時点で発生する“これどの字?”とかもデジタルデータだったら注釈を盛り込んだりも出来る訳で、やり方なんてなんぼでもあるんじゃないのかなぁ、と。何だったらWikipediaに投げちゃってもいいのに、とか思います。
     解釈に異議を唱えているよって人が多い部分についてはそれが読む側に判る様にすれば済むんではないかと。
     電子納本にしても、「どうせ入稿もデジタルデータだろ?入稿の時のデータよこせ」で済む気がしますし、とりあえずは国会図書館がパンクする前に何とかせんといかんのではないでしょうか。
     色々と問題があるのは認識しているんですが、それにまつわる議論に「様々な問題に対処出来ると言い難いので消極的にしか動きません」な感じを受けるんですよね。大いにイタチごっこやればいいじゃんと思うんですよ。
     アメさんの勢いとか、この不景気における社会的リソースの効率化への欲求とか考えると、斜陽産業とか気にして足踏みしてちゃダメなんじゃね?と思ってる次第です。
     あと、国会図書館級の図書館は県庁所在地に各一箇所は欲しいですねw

  7. risu より:

    群書類従の活字本、県立図書館にはありませんか?
    最寄りの図書館に「取り寄せ」してもらうとか、できるんじゃないでしょうか。
    公立図書館は相互貸借で、図書館同士で貸し借りしたりする制度が一般的ですから…。
    群書類従なら、書庫で埃を被っている状態でしょうから、喜んで貸してくれますよ。
    国民の「知る権利」を担う機関、知的欲求を満たしてくれる機関が公立図書館なのですから、ガンガン利用したりましょう。僕らの税金で運営されているんですし。
    県立図書館とか、国会には足元にも及ばないレベルですが、そこそこの規模があると思います。
    さて、私個人としたら、群書類従の原文データが公開されるのは大歓迎ですが、「現代語訳」はいらないですね。原文読めれば充分でしょう。注釈や現代語訳は、それこそ個人が自分のホームページで趣味で公開されれば充分です。
    現代語訳や注釈は「やりたいやつがやってよ」で良いと思います。実際に、紀要などで注釈やってる大学の先生もいますし、それがCiNiiや機関リポジトリなんかで公開されていますから。やる気のある人間、調べられる人間には、時間と手間はかかるにせよ、簡単に調べられる環境は整いつつあると思います。地域の県立図書館レベルならば、注釈書も揃える努力をしているでしょう。
    時間と手間がかかるのが難点ですが、そもそもネットがない時代の調べ物はアホみたいに時間と手間がかかるものでしたし、古い文章を読むというのは、時間と手間がかかるものです。お手軽にできるもんじゃないです。だからこそ価値があるのだと思います。
    電子納本については、インセンティブを付与するだとか、いろいろと工夫すれば発展しそうです。国会図書館で検索かけると、たとえば目次なり何なりがネットで公開されていて、「中身を見たい人は、料金払ってね」で、出版社に入金される、というシステム造りなどなど。出版不況ですから、出版社に金が回るシステムを作れば、すぐに出版社は電子データを差し出すでしょう。金っすね、最後は。
    国会図書館とは別の機関ですが、国立情報学研究所のGeNii(http://ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp)は、そういうことを目指しているサイトなのじゃないかと。あと、アマゾンの「なか見!」やgoogleブックは、将来的には出版社の電子書籍とリンクすることを目指しているでしょう。
    群書類従ではないですが、辞書系統を網羅したjapanknowledgeなんかが橋頭堡になるかもしれません。
    たぶん、ここまでネットが普及すると、それくらいのことは考えている人はいるはずなんですよ。
    でも、日本は法治国家ですし、JUSさんもよくおっしゃるように、「遵法精神が高い」人が多いじゃないですか。
    ですから、そういう仕組みにしたくても、法整備や出版業界への根回しなどに時間と金がかかるんでしょう。今は過渡期で、手探りでいろいろやっている状態だと思います。
    アメさんは、どんどんとジャングルを切り開いてくれている存在で、日本はその後に、道路を整備しつつ進みたいというところじゃないでしょうか。切り開くのはコストがかかりますし体力がないと無理です。日本も不景気ですから、そこまで金が回らんのでしょう。特に国立機関は「遵法精神が高い」ことがウリですし。
    ただ、群書類従なんかは、簡単に言うと「需要がない」んだと思うんですね。
    需要がないから、そういうシステムを作らない。
    そもそも、日本の国立大学からして、経費節減のために文学部などの文系学部を廃止したくてしょうがないですから、群書類従なんていう黴臭い古い本なんか燃やしてしまえ、古典だの歴史だの勉強しなくていいんだよ、くらいの位置付けなんじゃないでしょうか。それよか、エネルギーやら科学やら原子力やら、役に立つことはたくさんあるやろ、と。
    「役に立つ」という視点からすれば、文学やら歴史やらは「役に立たない」と判断されているのでしょう。(僕はまったくそう思いませんが)
    そういうわけで、JUSさんの試みをおこなうためには、いくつか方法があるので、それをまとめておきますと、
    (1)ロシアやベラルーシ、ベナンなど、日本の法律が及ばないところに、サーバーをたて、そこからpdf化した書籍をアップしまくる。もちろん、イタチごっこ歓迎。とにかくやりまり逃げまくる。違法系から「枠組み」を強制的に作らせるように仕組ませる。
    (2)JUSさんが政治家になり、積極的に政策を展開する。それによって「枠組み」を合法的に作る。
    という2つの道があるかと。
    (1)は体力的経済的にもキツイですしブラック街道なので、(2)が現実的だと思うんですが、いかがでしょうか?
    とりあえず、政治家になったさいには、裏から入手した群書類従のデータください。(笑)

  8. JUS より:

    >risuさん
     最寄の図書館は町立なのです。えっへんw
     いや多分 取り寄せは出来ると思います。遠慮はしていないんですけどね。
     risuさんのコメントを拝見していて、「確かに一昔前よりかなり便利にはなってるなぁ」と思いつつもどこか立場の違いを感じているのは何故なんだろうと考えてたんですね。
     おそらく僕はいわゆる“ユビキタス”を指向している夢想家で、そしてrisuさんは積極的にシステムを利用している専門家って感じになるんじゃないかと。
     この辺の差異についてはまたネタになるかしらんとかも思っているんですが。
     僕が理想としている状態って、
    ・興味を持った瞬間に初心者でも一次資料に容易にアクセス出来る
    ・情報への導入として現代語訳・日本語訳が同時に入手出来る
    ・一度誰かが解釈等の処理を行ったらそれを共有出来る
     という状態なんですよね。
     risuさんの言葉を借りて言うなら時間と手間は一切かけずにお手軽に入手したいという欲求って専門家が思っているより多いと思うんです。そしてそういう層にとっては、簡単に入手出来なければその情報には価値がないんですね。
     現に、活字版があれば僕も読めはするんですが、正直めんどくさいんですw。情報として内容には興味があるんですが、「原文で読むとなると後回し、かなぁ。現代文じゃないから読むだけでちょっと疲れちゃう…」って感じです。
     で、そういう言わばヒエラルキーの下の上みたいな人間、そしてもっとライトな「歴史には興味あるけど昔の文章読むのとか無理!」という層が三次資料や創作物だけではなく一次資料・二次資料に、彼らの負荷にならないレベルで触れられる状況にする事こそが裾野を広げる事になる、という思いでの今回のトークだったんですよね。
     もしそういう状況が生み出せれば、歴史という分野にもっと金も回って来るだろうって思います。人材も豊富になるんではないでしょうか。
     勿論、自分で資料を探し、解釈し、そして思考をめぐらせて一定の結論を出すって事の喜びも理解していますし学問における一種の楽しさだと思うんですけどね。
     その一方で、過去の遺産を十全に生かして次のステージに行こうとする行為や、一般層に親しめる形で情報提供を行うのも学問の楽しさだって思うんですよ。
     電子納本については、やっぱりインセンティブでしょうね。
     遵法精神か~。こういう過渡期に従来法の精神に捉われちゃうってのはやっぱり遵法精神の高さと連動しちゃうんですかねぇ。不景気だから斜陽産業の抵抗が高いってのは仕方ないにしても、ねえ。
     たまに「従来法の精神を変えざるを得ないよね。どうする?っていう話なのに何で『現行法では…』とか言うの?」って状況が多過ぎるのがとてつもなくイヤ~ンですw
     違法アップと僕の立候補以外の第三の選択肢として『桜川マキシム』が人口に膾炙する事によって僕の意見に同調する方が増えてノイジーマイノリティとして社会が変わるってのはどうでしょう?w

  9. risu より:

    おっしゃることはよくわかるんですけど、
    でも、やはり「お手軽に現代語訳」というところがとても気にかかります。確かに、一定の指針として「現代語訳」があってもいいとは思うんですが、でもその現代語訳が間違っていたり、誤解を生む記述だったりすると、間違った結論が導き出されるわけです。人文科学を強引に自然科学に引きつけて、敢えて例えて言うなら(そもそもこの例え自体、学問の性質上精確ではないですので、ご了承ください)、「1+1=2」という精確な前提があって、はじめて方程式の正しい解が導き出せるけれど、そのそもそもの前提が、「1+1=3」だったり、「1+1=6」といういいかげんなものだったりしたら、その導き出される解も間違ったものになるよね?ということです。
    したがって、なまじ変な現代語訳(変な前提)を、国の機関という「お上」が提供するとしたら、その前提が「権威」になってしまうから、学問や解釈の幅を狭めることになるのではないでしょうか。逆に、「これはあくまで個人の解釈ですよ」と個人のホームページで発信されるなら、こちらも「権威」とは思わないですし、「おいおい、間違ってるんちゃう?」と意見も言えるし、自由が確保できるんじゃないかと思うんですよ。間違っていたら、修正も簡単ですし。国家が現代語訳を公表しない(というか、したくてもできないし、する気もないのが実情でしょうが)ってのは、憲法上の学問の自由を保証することにもなるんじゃないかと感じています。国という権威が介入せずに、「まあ、自由にやってーや」という状態なのですから。
    僕の偏見なのですが、「歴史に興味がある」という人は、史料は原文で読むもんだと思いますし、古語辞書を片手に読んでいくのが普通だと思うんですね。それに抵抗を覚えるのは、そら「歴史に興味がある」とは言わんでしょう。
    「裾野を広げる」という意味では、解説書や新書が出版されていますし、そういう方面からアプローチの整備は一定レベルでなされているはずです。また、一次資料も、国会図書館では版権が切れたものをアップしているので、生史料にアクセスできる環境は整いつつあります。徐々にではありますが、一次資料にはアクセスしやすくなっています(もちろん、まだまだ不十分です)。ですが、「現代語訳も提供せいや」「生史料はめんどいから、訳を提供せい」というのは、そら「甘え」でしかないんじゃねーの?と感じてしまいます。
    アニメが詳しくないので、的外れな例えかもしれませんが、「ガンダム」の動画が公開されていて、「ここのシーンの意味がわからんわ、富野ぉ、解説せいやぁ!」「解説あれば、ガンダムの裾野が広がるわ」と言われても、そら解説せんのじゃない?と思うんです。調べたい人は、それこそ自分で勝手に調べるもので、それが「アニメに興味がある」と言うのではないでしょうか。
    とりあえず、的外れなコメントですいません。

  10. JUS より:

    >risuさん
     返答遅くてスミマセン。
     その辺の間違っているという指摘や、あくまでもここの解釈は個人の物ですよ、という趣旨をデータ閲覧の際に伝える事は可能なんじゃないかと思うんですよね。
     確かに書物としての形態であれば難しいと思うんですが、デジタルデータであればその辺、表示の仕様でどうにでも出来るんじゃないかなぁと。「おいおい、間違ってるんちゃう?」すらも取り込めるプラットフォームを作れれば何の問題もない気がしてるんですよね。現代語訳エンジンと連動出来るデータだけあればそれでもいいんですが。
     結局、Wikipediaに翻刻と暫定版現代語訳だけ投げてくれれば後はどうにでもするけど的な感じです。
     勿論、risuさんが御指摘の権威付けが問題というのは判るんですが、それって回避できない事はないと思うんですけどね。
     「興味がある」をどう捉えるかっていう点については正直 疑問で。
     古語辞書を片手に読むほどの事はしたくないから「興味がある」レベルなんですよ。
     おそらく原文に触れたいっていう欲求のある人は「歴史学を指向している人」だと思います。
     「興味がある」程度の人っていうのは何なら二次創作で満足しかねない人であって、すなわち「甘え」た人なんですよ。そうした人に二次創作から出来るだけ一次資料を読むところに近付ける為にはその中間点として現代語訳が必要だって思うんですが。
     英文学に興味はある人だけど英語が判らないって人も多い。
     そうした人向けに原語と翻訳版の両方がデジタルで提供されてるって考えれば無理はないかと思うんですけどね。
     僕自身も、「“もし暇があるなら”原文で読みたい」って思ってますけど、正直、今の状況だと原文で読むのはイヤですね。群書類従の様に文学性の低い部分を多分に含んでいるんであるならば、或いは『○○卿手記』程度なら結果だけ欲しいです。
     っつうか群書類従を元にした詳細年表だけあれば個人的な目的は達成なんですよね。
     ニーズってのは様々に存在している訳で、誰かが現代語訳したんならそれは共有されるべきだと思いますし、自由にアクセス出来るべきだと思いますよ。
     ガンダムの例で言えば、ちょうどそうした解説本も発行されてます。映像メディアと共に提供される程ではありませんが、それもまた裾野を広げてるでしょうね。
     今回の話は、「映像見た事ないけどガンプラは好き。○○ってモビルスーツと同系統でかっこいいヤツ、あるの?」って聞いている人に「そんなもん全編の映像観ろ」って言うべきかどうかって話だと思います。
     誤解なき様に言わせて頂ければ、僕自身は「歴史学を志向するんであれば原文で読むべき」だし「興味があるんなら行く行くは歴史学としてのアプローチに移行すべき」って立ち場なんです。勿論、ガンダムは全国民が全話観るべきですw
     ただ、その途中のハードルをゼロに近付ける事で様々な種類の人がその文化に触れる事が出来るし、様々なニーズを満たす事が出来る。そうして始めて豊かな文化になったと言えるなって思ってるだけなんです。
     それが出来ない内は“象牙の塔”だな、と言いますか。
     とりあえずこの話題、『もこパレ』で、ガンプラ好きだけど殆ど見ていないという不埒な射導送水さんにぶつけてみようかな、とか思ってますw

  11. risu より:

    どうも、しつこくてすいません。
    まあ、やりたい人がやるなら、別に何も言いません。
    現代語訳も、やりたい人がやって個人のホームページで公開してくれれば良いと思います。
    もし、ビジネスベースで採算がとれ、儲かるなら、なお良いでしょう。
    ただ、現実問題として、群書類従のデータ化は、版権がどこが持っているかによりますが(群書類従は温故学会が版木を持っていますね。続群書類従完成会は不渡りを出して倒産しました)、国家が事業としてやることはないだろうし、やるとしても原文データのみの公開で、現代語訳は「やりたいやつがやってーや」が基本であるべきだと思います。
    東大の史料編纂所も史料は原文提供のみですし、こういう形態が、国家や「象牙の塔」が歩み寄れるギリギリのラインでしょう。
    これでもかなり頑張ってるんじゃないでしょうか?
    「象牙の塔」と批判されることが多い国立大学ですが、それでも市民講座を開いたりしていて、ずいぶんと文化の啓蒙という面では貢献しているはずです。「青春あるでひど」でも活躍されている博士がいらっしゃるじゃないですか。ああいうふうに大学の枠を越えて啓蒙活動をなさっている人もいるわけです。
    すくなくとも、大学の予算が削られまくっている中で、よくまあ頑張ってんなと感心します。そういう努力を正当に評価することがない風潮の現在では、そら「豊かな文化」なんぞが生まれるわけないわなぁ、と感じます。
    あと、群書類従を元にした詳細年表とのことですが、群書類従はそれこそ史料のごった煮状態ですから、史料によって年が変わったりして年表を作るとしたら、大変そうですね…その発想は正直なかったです。
    「大日本史料」とかではダメですか?「大日本史料」なら、県立図書館レベルには置いてあると思います。
    もし置いてないようでしたら、ご近所の大学の図書館を利用してみるのも手です。Nacsisで検索すれば、全国の大学図書館の所蔵が確認できます。最近では、大学図書館も普通の市民を入れてくれるようになりました。
    具体的に群書類従のどの本の、どういうことを調べたいかによって、アプローチの仕方が変わりますんで、なんとも言えませんが…お力になれず、すいません。

  12. risu より:

    あ、あと、誤解されているようなので付け加えさせてください。
    ガンダムの例を出しましたが、ガンダム=群書類従として、
    それこそ解説本(現代語訳)やら何やらを、ガンダムの全編と共に提供せいよ、とおっしゃっているのだと理解していました。
    解説書(これは群書類従の現代語訳になります)なりは、それぞれ「別個」で提供されているわけで、それをすぐさま直リンで解説を全文提供はできんよね、そんなのって、現実には不可能ですよね?という意味での例えでした。
    ガンダムのたとえ話は、「映像見た事ないけどガンプラは好き。○○ってモビルスーツと同系統でかっこいいヤツ、あるの?」って聞いている人に「そんなもん全編の映像観ろ」って言うべきかどうかって話ではないです。
    僕の立場は、「同系統でかっこいいヤツ、あるの?」という人に、「画像を検索するシステムがあるよ(原文の検索ができるよ)」と言えれば(そういう場を提供できれば)それでええでしょう、あとはそれをどう料理するかは本人のやるべきことでしょうというものですが、
    JUSさんはさらに「画像検索だけじゃあ不十分だわ、そこに解説つけてくれや(原文検索では不十分、現代語訳をつけるべき)」とおっしゃっているのかと思っていました。
    僕からすれば「その解説が間違っていたら困る、そんなん付けないでええ」と言っていて、JUSさんは「みんなで訂正できるシステムを作ればええやん」「さまざまな説があることを提示できればええやん」とおっしゃっていて、僕はあくまで「そういうことは、個人で勝手にやるべきじゃねえ?」と言っているのだと思っていました。
    ガンダムの例えは物事をわかりづらくしてしまいました。
    やっぱり、たとえ話ってのは、本質からズレますね。
    関係ないですが、ガンダムは国が版権買い取って、全世界に配信した方が良いですね。

  13. JUS より:

    >risuさん
     いえいえ、こちらこそお付き合いさせてしまっているみたいで。
     やはり少しスタンスが違うなぁというのは多分、現行法・現行制度に対してどういうアプローチをしたいと思っているかに起因すると思うんですね。
     と言うのも、僕としては現行法や現行制度がどういった物かについては考慮に入れないところから発想したい、そしてその上でそれに近い状態をどの様に実現するかって感じなんですね。
     で、放送内やここでのコメントではどうしたいかを純粋な形で表したい、と。
     そうした中で、例えば群書類従の版木・版権がどこにあるか、そして著作権法でどう保護されるかは考えていないと言いますか…。
     もし著作権法のせいで市井の人間が知り得る権利が侵害される“だけ”であれば著作権法なんて変えてしまうべきですし、ビジネスベースで採算が取れないんであれば惜しみなく国費を投入すりゃいいと思います。
     ちなみに、翻刻・翻訳などの著作者隣接権は保護が強力過ぎるのでもう少し効力を弱めるべきだとは日頃から思ってたりします。
     で、そういう立場で言いっ放しているのでひょっとしてrisuさんからすると苛立たしかったりしないかなぁと心配する今日この頃です。
     で、現代語訳と啓蒙活動については一度、アニワギ氏にもぶつけてネタにしてみようかなぁと。
     今のところの僕のスタンスとしては、
    “あらゆるデメリットは技術でカバー出来そうだからやるべき”
    “市民講座程度だとマスを向いていない。マスに届いていない”
     なんですよね。
     ちなみに、群書類従を元にした詳細年表ってちょっと端折った書き方をしましたが、例えば、
     「○○×年 △△死亡(※●●記によると▲年に死亡と矛盾表記)」
     とか、そういう資料としての整合の取れていなさを含めて年表になってるとステキってイメージです。
     個人的には伝奇的妄想のタネなので、そういう矛盾が大好物なんですねw
     「ガンダム」の例はこちらはやはり射導送水にぶつけてみようかと。
     ちなみに、ガンダムが古典として教養の部類にまで昇華したのなら解説本と映像は同時に摂取出来る状況が理想だと思ってます。あくまで取捨選択は個人の自由で。全ての情報は等しくボーダレス・シームレスに入手出来るのがいい世界だと思います。
     すんません。斜め45度の人のケッタイな人になっちゃってますね。
     一応、上記二ネタはもこパレで昇華させたいと思ってます。その際にrisuさんの御意見、使わせて頂いてもいいでしょうか?

  14. risu より:

    いえいえ、こちらこそお手間をとらせてすいません。
    僕の偏頗な意見が使えるものであるなら、じゃんじゃんやってください。ここに書き込んだのは、すべて著作権は放棄しますんで。(笑)
    僕も情報をボーダレス・シームレスに公開するのは当たり前だと思っていますし、JUSさんのおっしゃりたいことはよくわかります。
    「“ユビキタス”を指向している夢想家」とご自身もおっしゃっているように、JUSさんは理想をおっしゃっている立場なのだということもわかります。
    ただ、理想が実現するか(できるか)というと、それはなかなか事情が込み入っていて、難しいところもあるわけです。僕はどちらかというと「実現できるか」ということを常に考えている人間です。実現できるとしたら、どれくらいの障壁や問題点があり、それをどのように乗り越えるかを考えています。
    「年内に冷温停止っす」と理想を言われても、それが実現できなければ、放射性物質を浴びるのは我々ですし。
    あと、「やれる」と「やるべき」は違うので、弁別する方が良いですね。「国が(やろうと思えば)やれる」と、「国がやるべき」って、意味あいが全然変わってきますし。
    「国がやるべき」と言うのはタダですから、自由に言えますが、それが「やれる」かというと、予算がないから無理ということはザラです。社会主義国家ではないのですから、何でもかんでも国ができるわけではありません。その事情を変えるべきだというなら、選挙で共産党に投票するしかないです。(ただ、共産党が政権をとり、共産主義国家になったからといって、何でもかんでも「国がやるべき」という方向に向く保障はありませんが)
    理系重視文系軽視の昨今の風潮もあり、歴史や文学は、予算が回ってきません。そもそも国は大学の文学部を潰す方向で考えています。この風潮を「変えるべき」だと思うのですが、「変えれない」でしょう。それが現実です。
    あと、Wikipediaに投げるようなことをおっしゃっていますが、「Wikipediaは何ではないか」を熟読していただければ、Wikipediaは「教科書や注釈付文書」ではないので、群書類従の現代語訳は掲載されることはないです。ひょっとしたら群書類従の現代語訳は、WikibooksかWikisourceが当てはまるかもしれませんが、ただこれらのプロジェクトでは、現代語訳の公開は、やはり難しいのではないでしょうか。青空文庫も、もし掲載するなら、原文のみでしょう。現代語訳は権利が発生してしまいます。やるとしたら、個人でやるしかないです。
    個人の印象で失礼なことを言うのですが、JUSさんは、「~するべき」とおっしゃることが多いような気がします。
    でもその「するべき」は、はたして誰が実現するのだろう、予算はどこから湧いてくるのだろう、と疑問に思ってしまうことがあります。
    JUSさん個人の「こうしてほしい」「こうなったらいいな」「こっちの方が便利だよね」というレベルの願望が、いつの間にか「国家はこうすべき」とより表現が強制的になっているところに、どこか居心地の悪さを感じます。
    ラジオですから面白くするため敢えて極論をおっしゃっているわけで、そのサービス精神に敬意を払うとともに、その「強さ」に共感をもてることが多く、爽快感があります。僕はまったく強くない人間ですし、頭も鈍いですし、口も回らないので、JUSさんのそういう姿勢がうらやましいです。
    ただ、そこから理論が「~すべき」→「でもしていない」→「すべきヤツらがしない」→「怠慢だ」という他者を攻撃するルートにのってしまうと、とたんに違和感を感じます。
    群書類従に関して言えば、「群書類従は現代語訳もふくめてデータ化されるべき」→「でもしていない」→「すべきヤツら(図書館や国立系の文系の大学や研究機関でしょうか)がしない」→「怠慢だ」というのは、そら酷というものです。
    「歴史資料はデジタルデータ化されるべき」→「でもしていない」→「すべきヤツらがしない」と言われると、僕としたら「ちょっと待ってよ。少ない予算ですごく頑張ってるじゃん」「一部ではあるけど、データ化されてんじゃん」と思ってしまいます。「結構がんばってますよ」と反論しても、「現代語訳が付いてないからわかりやすくない」「マスに向いてない」とか言われてしまうわけで、じゃあ、もうどうすりゃええねんと思ってしまいます。
    特に現代語訳という、恣意の入る解釈の問題に、どうして国家が介入「すべき」なのよ、と違和感を強く感じるのです。そうした学問上の問題に国家が介入するのは、憲法で規定されている学問の自由に抵触することになりかねません。「権威」って、一度確立してしまうと、それを崩すのは相当な力が必要です。ましてや個人が権威と闘うなんて、無理です。
    たぶん、僕とJUSさんの立場の違いは、ご指摘のとおり現行法へのアプローチもあるでしょうが、個人で「(やりたいやつが)やれる」ことを重んじる立場と、国家で「やるべき」ことを重んじる立場、すなわち個人と国家の違い、「やれる」と「やるべき」の違いもあると思います。
    そして、僕は国家に対して根強い不信感があるんですよ(別に特定の主義主張があるわけではないですが、猜疑心の強い僕個人の性格から由来すると思って下さい)。JUSさんほど、国家に期待してないし、信頼がない。実は国家って、そんなに強くないし完璧じゃないって感じています。かなりいい加減だし、適当のような気がします。それは、原発三機程度も満足にコントロールできないところからも明らかでしょう。
    あ、もし、JUSさんが私財を投じてやられるぶんには、それは応援しますので、そうされるなら、ぜひ頑張っていただきたいです。思えば、群書類従も塙保己一の個人の仕事からはじまっていますし。現代の塙保己一になってください!
    冗談はおいておきまして、
    収録はいつも楽しく聞かせていただいています。
    こういう荒しみたいな書き込みに、ちゃんと対応してくださる真摯なJUSさんに感謝しています。ありがとうございます。
    ところで、以前放送されていた「走快車楽」の件はどうなったんでしょうか?ちょっと気になっています。

  15. JUS より:

    >risuさん
     ん~、やっぱり食い違いと言うか違和感と言うか、そういった物が発生しちゃうのは、「現行法・現行制度の枠組みの中で何が出来るか」について発言頂いているから、なんでしょうね。
     その点と理想のギャップを埋める為に「現行法・現行制度の枠組みをどう変えるか、どうやったら変えられるか」を仰って頂ければ僕も「そうだそうだ!」と乗っかれるんですが、何せ「現行法・現行制度の枠組みの中で何が出来るか」に捉われないからこそ有益な意見を吐けると思っちゃってる困ったヤツなもんで…w
     例えば、著作権のあり様自体に疑義を挟んでいるんですね。
     なので「現代語訳は権利が発生」と仰られたると「じゃあ法律変えるってのを大方針としましょ。細かい事は次回!」という考えなんですよね。
     その辺が我ながら顕著かなぁと。
     とりあえずでテキトーにWikipediaと言っちゃったのは僕としては反省です。
     が、現在そういったシステムがなければ何らかのWiki的システムでいい訳ですし、その応用で翻訳文という存在の持つ危うさもクリアー出来るんじゃないかと。
     解釈の違いで幾つかの意見が存在している箇所について、それらの意見を初見の人間にニュートラルに伝える方法があれば現代語訳を取り込んだ物を初心者にぶつけてもメリットしか発生しないと思うんですよ。
     ぶっちゃけ、X人以上から異論が挟まれた部分はその異論を読んだ上でなければ翻訳文が読めない仕様でいいんじゃないかなぁ?的な。
     権威の取り扱いについても、オープンでフラットな議論の場があればそれでいいだろうとも思ってますし、その試行錯誤こそ学術的にやらないといけない事なんではって思います。
     あと、翻訳行為自体を国がするべきだという訳じゃないんです。
     Wikipediaって言っちゃった所もありますが、要は「誰かが何かをした成果を共有出来るシステムは作れる。割と簡単に。だから作れ」ってだけなんですけどね。
     個人でそれが出来ないなら大学が。大学が出来ないなら国がやればいいって、ただそれだけでして。
     例えば個人で訳文作成が成されていればそれが公文書や様々な学術的資料を閲覧出来るシステムに乗っかってりゃいいんじゃね?と思います。
     様々で雑多な文化活動を貪欲に内包する仕組みは作れるだろ~とゆう。
     「~すべき」→「でもしていない」→「すべきヤツらがしない」→「怠慢だ」という言い方をよくするって御指摘はごもっともwなんですが、ちょっと違うんです。もっと上からでアレな感じなんです。
     「~すべき」→「でもしていない」→「すべきヤツらがしない」→「それは俺が何も言うて来なかったからだね」→「俺に仕切らせろ」→「仕切らせないんならもうちょっと俺の意見に寄れ」→「寄らない」→「くそ!ボケ!死ね!好きにせい!俺はもう知らん!」くらいな感じです。
     ま、それは冗談だとしても、「やれる」「やるべき」って僕の言い方も色々パターンがあるんだなぁと御指摘を受けて思いましたね

     仰る通り、ラジオだからこその喋り方にはなってるんですが、
    1.「やるべきかやらないべきかっつったらやるべき」
    2.「やるべきだけど無理だね。でもやるべきって言いたいっす」
    3.「やるべきだけど今じゃなくていい。っつうかひょっとしたら永遠に今じゃなくていい」
     辺りを「やるべき」の一言で済ませて相方に笑われるってパターンがちょくちょくありますが、この例で言えば群書類従の現代語訳については1と3の中間くらい、ですかね。
     その一方で上述の公文書だとか学術的資料をデジタルで提供するシステムの“構築”なんてのは全力で国費ででもやるべきだと思ってたりします。
     国家については…、またネタにするかもです。多分します。
     学術機関とマスの関係性もゲスト:アニワギ氏でやります。
     『走快車楽』はタイミングが合えば監視してるんですけどね。意外とサーキットの外に出なくなっちゃったんですw

  16. risu より:

    著作権を変えるってのは、大賛成です。
    でも、それをするなら、それこそJUSさんに政治家になっていただかないと(笑)
    それは冗談としても、問題提起としてはいつも「著作権」ネタをおもしろく聞かせていただいています。
    とりあえず、Wiki的システムで、ということですが、書き込みは原則、著作権を放棄してますよ、という規定にして、あとはみんなで勝手に完成させて、というのは簡単に実現可能でしょう。ボランティアで、その事業にのっかってくれる人がどれだけいるか疑問ではあります。みんなそんなに暇かなぁ。
    ただ、やはりJUSさんのご発言をみていると、解釈の違いを簡単に見過ぎているように思えるんです。現代語訳とか解釈とかを軽く考えすぎてるところが、すんごく違和感あります。そんなに簡単に「まとめ」なんてできないのが、解釈や現代語訳の違いなんじゃないかと。
    たった1字の違いや、1つの句読点打つ打たないで、原稿用紙50枚近くの論文を書いている人もいるわけで、そんな人たちの議論を「初見の人間にニュートラルに伝える方法」って、僕の頭では思いつかないんです。もうおのおのがそれぞれの論文読むしかねえんじゃねえ?っていう。
    誰かがそうした議論をまとめることになるんでしょうが、そもそも、こうした議論のまとめって揉めまくるじゃないですか。もう議論のための議論をして、わけわかんなくなっちゃうんじゃないですかねぇ。
    ご提案いただいている、異論を読まないと読めないってのも、「ちゃんと読んだ」ということをどう判定するんでしょうか? よくネットでは「規約文」を読んでからじゃないと行けないサイトがあったりしますが、あれってどれだけ真剣に読んでいるのでしょうか? みんな適当にスクロールしてポチッと先に進んでいるんじゃないでしょうか? だからトラブルが絶えないんだと思うんですが、それと同じことが起こるように思うんですね。
    また、おっしゃるような「オープンでフラットな議論の場」と簡単におっしゃいますが、こんなに難しいことはないです。今、ネットで、「オープンでフラットな議論の場」なんて存在しますか? 今後も、存在できると思いますか? もしそういう場を作るとしたら、どこかで誰かが管理をするわけで、その管理をする人間に思想的に偏りがない、ということを、誰が保証しますか? 僕はかなり非現実的だと思います。そこに国家がからむなら(国家がユーザーを管理して、発言を監視するようなことになるなら)、参加したくないです。Wikipediaも、明らかにおかしい管理人なんかもいますし、それで揉めたりしています。あのWikipediaでさえ、「オープンでフラット」とは言えません。ところで、JUSさんはWikipediaを打ち出の小槌のようにとらえていて、かなり幻想を抱いているように見えるのですが、Wikipediaってかなり問題があるのご存知ですか?
    やはり、事ここに及んだら、JUSさんご自身がご自分で好きなように理想の群書類従現代語訳プロジェクトを立ち上げて、サイトをお作りになるのがよろしいとしか思えないんですよ。「そうすべき」ですよ。(笑) そうすれば好きなだけ仕切れますし。
    理想を語っておられるので、「そういうの、実現できたらいいね」なんですけど、でもJUSさんはネットでなんでもできる幻想にとらわれているようにしか思えないです。でも、そんなにネットで何でもかんでもできないっすよね。技術的に。
    「公文書だとか学術的資料をデジタルで提供するシステムの“構築”なんてのは全力で国費ででもやるべき」とおっしゃっていることは、既に国が取り組んでいて、ちゃんと公開されています。これは以前に指摘しましたが、国立情報学研究所のGiNiiやCiNiiですでに一部が実現されています。研究者が大学紀要などで現代語訳を発表したさいに、ネット上でその紀要の論文が閲覧できます。「象牙の塔」と批判されている国立大学も、自分の大学の研究者が紀要などに発表したさいに、それがネットで閲覧できるよう、「機関リポジトリ」で公開しています。
    もちろん、まだまだ不十分ですし、過渡期で試行錯誤している段階ですが、こういうことはすでにいろいろと試みられています。かなり頑張っていると僕は感じています。もっと頑張って欲しいです。
    もちろん、個人で書かれた論文で、紀要などに掲載されてないものは、ここには掲載されることはありませんが、個人でホームページにでもあげてくれればいいわけで、それはもう研究者の「やる気」にかかっています。
    個人的には、科学研究補助金でなされている研究(端折って言うと、我々の税金が投入されている研究)の成果報告書や、データベースなどが公開されていないところに問題点を感じています。よく、「○○データベースの構築」という課題に科研費が出ていたりするんですが、そのデータベースをネットで公開せずに、自分だけで使っていたりする研究者がいたりします。みんなの金でデータベースを構築して、みんなが使えないってどないなっとんねんと思います。こういうのものこそ、国が強制力を持って公開させるべきです。
    学術機関とマスの関係について、アニワギさんとやっていただけるようで。
    アニワギさんって、確か化学専攻でがっつりと実験系でしょうから、文系の非実験系の事情はあまりご存知ないかもしれません。たぶん、アニワギさんは民間企業から研究費を引っぱってきているだろうし、国からも研究費(例の科学研究補助金ですね)をもらっているだろうし、文系からみたら、桁が3~4違う予算で研究されているはずです。「歴史・文学は訳にたたないから大学で教えなくてもいいですね」「群書類従のデータベースなんて意味ないですね、科学には何の訳にもたちません」とか、あの理性的な声で言いだしそうで今から楽しみです。
    『走快車楽』、やっぱりJUSさんの苦情が効いたんですね。(笑)

  17. JUS より:

    >risuさん
     ん~、とりあえず簡単に書くと。
    =======================================
     解釈の問題については、「もうおのおのがそれぞれの論文読むしかねえんじゃねえ?」って疑問から答えが生まれると思うんですよね。
     仰る通り、何十枚でも読ませるとかでいいんですよ。
     確認用の問題ジェネレータとか組んで設問を自動生成して、いくつかを閲覧者に投げればいいんじゃないですかね。
     個人的には、『群書類従』程度だったら、言う程 解釈の違いなんて発生しないだろうって思ってます。
     それこそ『源氏物語』とかの方が大変だろうなぁ、と。
     議論の為の議論も大いに必要でしょうね、本気で。
     そうやって作って行くもんじゃないでしょうか。集合知って。
     そこを乗り越えて知恵を形成して、すれば「オープンでフラットな議論の場」も実現は不可能じゃないと思うんです。
     案外、数年のタームで想像以上の物が作れそうだなぁって予感がします。
     ちなみに、他の発言と同じ様に簡単に言うてはいますけど、簡単だと考えてはいませんよ。
     難しいからと言って無理だって言わないだけ、ですね。
    =======================================
     また、ネットで何でも出来るとは全く考えていませんが、無理だという論証がされていない事は“出来なくもなさそうだ”くらいに捉えているんですよ。
     それが印象による諦観だったらば、ちょっとした技術でブレイクスルー出来そうだな、とも思ってますけどねw
     その辺のニュアンスが上手く御伝え出来ていなくて、未熟で申し訳ないですが…。
     Wikipediaについては打ち出の小槌だとは考えていませんし問題点も存じています。
     集合知を指向して、マスに向いていて、それがマスにもある程度 届いていて、一定の成功はしているって事で取り上げ易いだけなんですよ。
    =======================================
     現行のGiNii等のデータベースについても、残念ながらやっぱりマスには向いていないなぁとしか思えないです。
     “何故 内容検索が出来ない”とか“何故 平文でテキストが提示されていない”という様な、初歩的な疑問点が浮かぶだけで。
     HTMLでテキトーにマークアップして、文章そのままアップロードすればいいのにって思うんですよ。もともと論文を上手く検索する為の物ですし、HTML。
     で、タグとか設定して、それを検索に上手く絡められる様にGoogle辺りと相談すれば。ヤマトとか佐川ですら似たような事やってるのになぁ、と。
     現在、Googleで検索すれば高確率でWikipediaがトップで出て来る様に学術論文のデータベースが出て来る様に出来るだろうって思いますよ。
     過渡期とか試行錯誤の段階がという前に、その辺で前時代的で内輪向きだなぁと思っちゃうんですよね。
     やる気というか…、きつい事を言えば視点の甘さかなぁと思います。
    =======================================
     また、risuさんがデータベースが公開されていない事には憤慨されていると書いておられましたが、国費が投入されていてもいなくても一緒だという認識です。
     全ての文化的行動は過去の文化的行動の所産でもありますし、一定のビジネス的自由度は認められるにしても、あくまでも公共の物だと思います。
     国費が投入されたデータベースの開示に国家の強制力を適用するべきなのと同様に、国費が投入されていないデータベースも関係者に一定の手間賃が入った上で強制的にでも公開されるべきじゃないかと。
     スンマセン、割とレッシグ派なもんでw
    =======================================
     「当事者じゃなくてもどんどん意見を言え。無責任にでも発言してりゃ真実に当たる事もあろう」ってスタンスなのでrisuさんには「だったらオマエがやれ」と思わせちゃってるみたいですが、総じてスミマセン。
     ただ、優先順位は非常に低いですが、やらなくもないですよ、上に書いた事全部含めて。長生きしなきゃなぁ。
     とりあえず男子長命の家系なので100は行くとして、22世紀には首突っ込みたいなぁと夢想する31歳でございます。

  18. risu より:

    うーん、やっぱりJUSさんは夢想家だなぁ。
    僕はバリバリのリアリストなんで、どうしても違和感があります。すんません。(笑)
    問題出されて正解にならなければ読めないサイトとかって、「マスに向いている」と言えますかね。誰でも好きな時にアクセスできるネットの良さを消しているような。「興味を持った瞬間に初心者でも一次資料に容易にアクセス出来る」という原則にも反するような。
    それだったら、もういっそ、全部がリンクされている程度で良いと思いますけど。
    まあ、どうでもいいですが。
    GiNiiですが、HTML化されず、全文検索できないことを問題にされていますが、わざわざHTMLにせずとも、PDFをOCRと併せて検索かけるシステムができるようになれば、全文検索がかけられるようになり、GiNiiの存在感は増すでしょう。
    それこそ技術が乗り越える問題のような気がします。「あと一歩」というところかと。
    個人的には、意識的にGiNiiは「あと一歩」を乗り越えてないように思えるんですね。そもそも論文をネットで公開することも、権利関係が絡む問題ですから。
    とすると、やはり法整備が必要ということろかと。
    僕はGiNiiとか十分に「マスに向いている」と感じるんですね。大学の市民講座なんかも、ネットで検索かければすぐに出てくるし、やっぱり「マスに向いている」と思います。
    ネットで公開してさえくれていれば、それを見つけるのは利用者ですから、やる気のある利用者なら、そこまで辿り着くもんだと思います。
    割とJUSさんの「マスに向いている」って、印象で決めている雰囲気があるんですが、ネットで公開されているくらいじゃあ「マスに向いている」とは言えないんでしょうか。
    ちょっと僕の知識ではよくわからないので、もしご存知ならお教えいただきたいんですが、アメリカでの学術サイト、日本のGiNiiのようなものって、どうなっているんでしょうかね? すんごい進化を遂げているのでしょうか。
    アニワギさんの理系の分野では、そういうことが相当進んでいそうですよね。「ネイチャー」の全文検索とかできるんでしょうかね? もしアニワギさんにお会いすることがあったら、そこいらへんの事情を聞いておいてくれると嬉しいです。
    まあ、とりあえず、お互いに長生きしましょう。(笑)

  19. JUS より:

    >risuさん
     夢想家ではありますけど、同時にリアリストなんですけどね。今は夢想の段階なだけで。
     著作権の話なんかもそうですが、「方向性を定める際に何でみんな現行法を元に考えるの?極力 自然状態から思考をスタートしようぜ。地に足付けるのはその後だろ?」って思うんですよ。
    =====================================
     「問題出されて云々」については、不要だと思ってはいます。例え誤解が生じようと、閲覧者が要求する情報がすぐに入手できるべきだというのは前述の通りです。
     ただ、解釈の違いというのが学問上のテーマとして存在しているというのも承知してますので、問題視する声を無視するのもなぁってところでの発言ですね。
     前のコメントでも書いた通り、解釈の違いに影響が出る程の問題点は『群書類従』においてはそんなにないとも思うんですよ。「え?そこをそない読んじゃったら意味違うくね?」って、文学性が強くないとそんなにないよねって言う。
     そもそも、外国語と日本語は勿論、古語と現代語も、単語単位でも全く同一の意味・用法の物なんてそんなにない訳で。
     解釈の違いを以て翻訳の不要性を説くのだとすれば、それぞれの地域・時代においてネイティブに理解出来る人以外、その言語を理解しようとする事を現実的には不可能だと極言する事も出来ます。
     そこは利便性と折り合いを付けて運用していくべきな訳で、一般向けの情報では解釈の違いについての議論が存在する事はアナウンスだけあればいいと思ってます。
     僕個人としては現代語訳が赤い字とかになってて、そこをクリックしたら解釈の議論内容に飛べるとかで大満足です。それこそWikipediaのノート部分みたいな。
    =====================================
     PDFとOCRだとテキスト形式の文章がネット上にあるのと同一なんですよ。
     それこそ機械的に文脈を理解出来ない限り検索制度が上げられなくなっちゃうというのが結構 問題です。その情報がどれだけ必要とする層に届くかに密接に関りますから。
     それを解決する為に策定されたのがHTMLですので、既に技術的にはクリアーされている事なんですよね。
     基本構造は完成していて一般に普及…どころかネットでの情報通信の基本になってすらいる技術をわざわざ使わない辺りが「何じゃコリャ」って思う所以です。
     論文を一般にネット公開する為の法改正は大賛成ですね。著作物にはその性質に応じて頒布権とかその他 付随する権利がの範囲・期間などが多様に設定されるべきだと思います。
    =====================================
     「マスに向いている」事について、そもそもコンセンサスなく発言しちゃってましたね。
     啓蒙活動とイコールではないんです。不特定多数に届ける事を志向しているかという事ですので、不特定多数に開放する事、ではなく不特定多数に届ける事、です。
     市民講座は「マスに向いている」には当たりません。あれはミニマルな啓蒙活動と言うべきだと思います。ビデオキャスト配信してるとかなら割とマスを向いていると言えるとは思いますが。
     不特定多数に情報を届けるというのは、能力・環境・意欲など雑多な集団を相手にする事ですから、「見たけりゃ見に来ればいいじゃん。準備はしとくよ」だとハードルが高過ぎて機会損失多過ぎです。
     市井の人間の、仕事や家事の合間の生活の一部にいかに浸透させるか、とか、広告代理店的発想、と換言してもいいかもしれませんね。
     で、そこの努力を怠れば他分野に人材も流れるでしょうし、だからこそ予算も減らされ易いんじゃないですかね?
     いわゆる“実学”であればそれでも目に見える形で結果を出せたりもしますから耐えられるのかもしれませんが、文学部とか芸術系とかは今までにはあり得なかったくらい全力でマスを向かんと、それこそ仰る通り廃止されかねないでしょう。不景気だし。
     ゼロサムゲームに勝たなければいけない、みたいな側面も多分にあるんじゃないですかね、と。
     この辺の感覚が相方とはスムーズに共有出来ちゃってたのでかえって判りにくかったかもですね。
     実は似た様な話が次回更新分にあったりします。
    =====================================
     要は、やる気のないヤツや、やる気は多少あるけど少しでもつまづいたら他の事をやっちゃうヤツ、そもそも無関心なヤツで構成されるのがマスなんですよ。やる気のあるヤツはマスじゃなくって。
     マスの連中をやる気のあるヤツに変えようって志向するのが「マスを向く」って事ですね。
     そして「マスに向いている」か否かは結局、印象ですね。
     「一般人である俺にも向けて発信されている」ってどれだけの人間が思うか、ですから、
     少なくとも、GiNiiは一瞥して「あ、これは一般人は利用しようとは思わんわ」って印象ですし、当たってると思うんだけどなぁ。

  20. risu より:

    誤解されているかもしれませんが、
    僕は「解釈の違いを以て翻訳の不要性を説く」ことは一度もしていません。
    翻訳をするならすればいいし、それを公開するのは、翻訳者の自由です。でも、翻訳を国家が強制力をもって公開することは不健全だ、ということを言い続けてきました。またJUSさんが主張する「解釈の違いを技術で乗り越える」「オープンでフラットな議論の場」というのが、正直ピンとこない、そんなん実現可能かのかよ、ということを言っていただけで、「翻訳の不要」を説いたことは一度もないはずです。
    JUSさんは「国民の財産として活字化・現代語訳化をデジタルデータで公開しろ」「税金で版権買い上げて公開しちゃえばいい」と最初はおっしゃっていたので、そのように国家が翻訳を公開したとして、そこに問題点が多く含まれるんじゃね?とずっと言い続けてきました。
    決して「翻訳は不要だ」と言ったことはありません。
    やりたいやつがやりゃええんですよ。
    こちらとしたら、原文さえ検索できるようになれば、それでいいんじゃね?国家がすべきことは、原文検索で十分じゃね?
    あとはそれをどう解釈・翻訳するかは、もう個人がやるべきことで、好きにWiki的なシステムなりなんなりを構築すればええやん、でもそれは民間でね、ということを言っています。
    そもそもが群書類従の話だったはずで、原文検索ができるように、という、ここまでだったら「うんうん、そうやね」と思惑は一致していたのですが、「現代語訳もつけろ」というところから、こちらとしたら「現代語訳はいらん」と主張することになって、
    「国が解釈という問題に介入するのはいかがなものか」という私の主張と、「技術で乗り越えられる」というJUSさんの主張が対立するようになって、私としたら「技術技術って、そんなに技術は万能じゃないよ」「解釈ってそんなに簡単なものじゃないよ」「翻訳はもう個人で好きに公開するのがいいよ」と主張したのであって、
    「解釈が違うから翻訳はできない」と一般化しているわけじゃないんですね。(つか、そんなこと言いましたっけか? 誤解を与えたならすんません)
    群書類従の「現代語訳」を提供するとしたら、国家が運営するより、Wikipediaのようなボーダレスで多くの人が参加可能なシステムを構築できる、民間人が主体のものになるのが現実的だと思います。国家がそこに絡むとすれば、精確な「原文」提供で十分です。東大史料編纂所のデータベースみたいな感じの。
    「マスを向く」の話、よくわかりました。
    丁寧にありがとうございます。
    僕は「やる気のあるヤツに応える」ことで十分だと思っていたんですが、
    「やる気のあるヤツに変える」ですか、なるほど。
    …うーん、でもそれが一番難しいよなぁ。みんな群書類従なんかに興味ないもん。
    とりあえず、「マスに向く」ために、桜川マキシムでも文学・歴史ネタをこれまで以上にやってください。(笑)

  21. JUS より:

    >risuさん
     「解釈の違いを以て翻訳の不要性を説く」についてはちょっと言い回しがおかしかったです。スミマセン。
     仰る通り、risuさんの御意見とはずれてしまってました。
     で、やっぱり「国が解釈という問題に介入するのはいかがなものか」というのがあんまりイメージ出来ていないかもしれません。
     カトリック御墨付きでアラム語から翻訳した結果“処女懐胎”とか言い出しちゃった的なところでしょうか。
     だとしても翻訳情報と共に“ここは異論があるんだぜ”っていうのが同時に摂取出来ればいいなじゃないかなぁという感じなんですよね。ん~。
     まぁ、この辺、僕としては“情報そのものと注釈を同時に閲覧者に見せる技術”って方に頭が向いてしまってたりしますがw
     それと、例えば群書類従の現代語訳を国家が音頭を取るのイメージですけど、これもまた僕の想定するイメージとも違いますね。
     国「群書類従の翻刻版のテキストデータアップしたよ。サーバも用意したよ。議論も出来るよ。さあ、現代語訳を作るが良い。基本ラインを作る人には声はかけといたし、現代語訳エンジンでざっくり直訳版もおいといたけど」
     みたいなイメージで元々いましたので。そもそも割とrisuさんの持っておられるイメージに近いかもしれません。

  22. risu より:

    どうも、相手してくれてありがとうございます。
    僕のイメージは、
    国「群書類従の原文データアップしたよ。でも、それ以上のことはせんからね。好きにデータ使ってや」
    JUSさん「原文だけじゃ不便だわぁ、現代語訳あった方が便利だわぁ。サーバ用意して、Wikipediaをモデルにした現代語訳のページつくるわ。議論できる場を作って、現代語訳エンジンでざっくり直訳しといたから、あとは好きにしてや」
    国「なんか勝手にWiki的なシステム作ってる奴がおるけど、俺たちとは関係ないからね、俺たちから研究者に要請したりとか、一切ないから。あ、原文データの間違いはこまめに訂正しときます」
    Aさん「Wiki版現代語訳は間違っているから、自分のホームページで訂正版を発表します」
    Bさん「あ、俺も自分のホームページで現代語訳をアップしときます」
    JUSさん「こっちに載せてくれればええのに。ま、ええや、リンク貼っとこ」
    Cさん「とりあえず、Aさん、Bさんの論点を整理して、Wiki版現代語訳のページにまとめておきますね」
    国「なんか、現代語訳についての問い合わせが俺のところにくるんだけど、現代語訳のプロジェクトとは関係ないから、問い合わせてもらっても困るんだよね。原文データの提供しているから、原文データの問い合わせなら答えるけどさ」
    みたいなもんです。
    「集合知」って、国家が強制力をもって形成するもんじゃないって僕は思っています。
    それこそ、必要に迫られたやる気のある人たちがやるべきことかな、と。

  23. JUS より:

    >risuさん
     いえいえ、こちらこそ。
     こうして意見をやり取りさせて頂く事で、自分の性質やら意図していなかった視点などに気付けて有意義だなぁと勝手に思ってたりします。
     そして、ナンダカンダで口語でやると判り易いですね(苦笑)。しかも意見の相違がそんなに大きくなさげな気がするから不思議です。
     僕のイメージとしては
    国「お、現代語訳のデータが著作権フリーで公開されているからこっちでも公開するぜ」
     くらいまでやってくれると、やる事やっとんなぁってきになれますw
     国家と集合知、或いは国家と学問のあり様って問題はアニワギさんとやる時にも一箇の問題点として取り上げたいですね。

  24. ちん より:

    著作権って、カオス状態になってるんだって。
    図書館は著作権圏外じゃにゃい? それで解決。
    昔本は高くて「物」として財産になり得たけど、いまじゃ二足三文だから図書館が代わりに買ってあげる必要はないのかもね。でも「物」としての本の存在(手触りとか、臭いとか、図らずして目に入るとか)が知的好奇心を刺激することがあるので、電脳化されるまでは図書館は必要だなぁ。過渡期ですね。
    久々にIT新規上場IPOが賑わっていて、全部SNS関連なのだ。
    いかに個人を囲い込んで情報を集めるかが優良ビジネスなのだろう。嫌な世の中だ。
    なので、桜川マキシムもSNSを始めればいいのかも。もっこもこ.jpだね。
    村上龍先生は、なんとなく同情する。むきだしで高層ビルのエッジに立っている感じ。下手に世界で活躍するなんとかさんとかに囲まれちゃったから、「作家」なんていう全く世の中に通用しない社会的ステイタスだけで、プロテクターなしの自分の才能だけで渡り合っているから、なんだか彼をみていると、命綱なしで空中ブランコに乗っているような、そんな危うさを感じるのさ。
    初めっからキワモノと思っているけどね。
    ビジネスの話に戻すと、アイディアはバカでもわかるものがいいの。どちらかというとバカに分かる物の方がいいの。でもそれを具現化してビジネスにまでもっていって、更に金儲けにするにはバカには出来ないの。
    JUSっちの才能は素晴らしいから、早く金持ちになって、桜川マキシムでもっと笑わせて。

  25. JUS より:

    >ちんさん
     日本ですらデジタル出版やら放送関係やらでもうぐっちゃぐちゃですからねぇ。
     利権のパワーゲームで作られていって屋台骨がぐらぐらです。
     本当、過渡期だと思います。
     結局の所、誰もこれまで情報としての価値を真剣に考えていなかったんだなぁと思っちゃいますね。
     それを真剣に考えるべきである、読書家ほど紙の本を好いてしまっているというジレンマもあったりしてw
     SNS、日本はフェイスブックについてのステルスマーケティングが空回り気味で、むしろモバゲー・GREEがその役割を持ってるかなぁって感じですね。
     フェイスブックの実名登録とか、やり口が気色悪いですよねぇ。
     もっこもこでSNSかぁ。pixiv音声版ですかね?w
     村上龍先生についての評は、ステキですw
     裸の王様感がハンパないですよね。80年代のタレントのビッグマウス叩いてるのを今見るのにも似た。
     金持ちになるの、頑張ります。
     そして喋っては編集、喋っては編集。嗚呼、素晴らしき哉w

  26. risu より:

    JUSさん
    こちらこそ、ありがとうございました。
    ちゃんとやりとりできて嬉しいです。
    これからも楽しいネットラジオを続けて下さい。
    たまに野暮な書き込みをさせていただくかもしれませんが、あまり気にしないでください。(笑)

  27. JUS より:

    >risuさん
     いえいえ、こちらこそありがとうございます!
     今後とも「おんや?」と引っかかったらバシバシ言うてやって下さいw

  28. risu より:

    おひさしぶりです。
    いつも楽しく聴かせていただいております。
    最新回(304回)はメール回だそうで、ツイッターもメールもミクシーもやってない私としたら、ここにこうして書き込むことしかできません。ご不快ならば削除していただいてかまいません。
    ところで、最近、著作権関連のニュースが続いています。
    Winny制作者の無罪確定や、京都のライブハウスの生演奏禁止の差し止め、東野圭吾などの人気作家による自炊代行業者(本を裁断しスキャナーで電子書籍化を請け負う業者)の告訴、などなど。
    さらにTPPの加盟により、日本国内の著作権関連法がアメリカ基準になる危険性も指摘されています。
    よかったら、Winnyの件と、自炊をネタにしていただきたく思います。
    以前お話しいただいた図書館問題を絡めていただいてもかまいません。
    著作権関連についてお二人のざっくりとした感想でもかまいません。
    お忙しいお二人ですから、「こんなん話したくないわ」ということもあるでしょう。その場合は、華麗にスルーしてください。
    私個人の感覚ですが、「(いつか)やる」と言ってやらないのが一番がっかりします。
    スルーする場合は、「忙しいので(興味がないので)やりません」と一言いただければ嬉しいです。もちろん、完全無視(黙殺)でもかまいません。
    よろしくご検討のほどお願いいたします。

  29. JUS より:

    >risuさん
     こちらこそ御無沙汰しております1
     以前に言うておりましたコメント投稿用エントリ、とっとと作らないといけませんね。すみません。
     確かに最近、著作権関連ニュース続いてますね。そしてrisuさんの挙げて頂いた事件の数々がきれいにまとまっていて、元ネタにさせて頂いて著作権関連事件めった切りと行こうかと思います。
     ちょいと先になるかと思いますが、お待ちくださいませ!

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